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BIZENアングラ・アングラーズ
フライフイッシングとフライタイイングに関する話題など
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Mr. Bassie
220220 (5)5

 

 

 けして忘れない、
 光輝いていた青春の歌たちの屋台骨を支えたのは、
 いつもロビーのベース。

 昨年は、
 レゲエ好きには辛い年になってしまった。

 ダディ・U ロイが亡くなり、
 バニー・ウェイラーが亡くなり、
 リー・ペリーが亡くなり、
 そして、
 ロビー・シェイクスピアが亡くなった。

 我が人生に、
 得がたい潤いと活力をもたらしてくれた、
 偉大な大黒柱が、
 相次いで亡くなった。

 ポッカリ開いてしまった心の穴はふさぎようもない。
 なので、
 しおれた気持ちに決着をつけるべく、
 すこし、
 昔話がしたい。

 な~んちゃって、
 暗くて重いムードはここまででお~し~まい。

 前向きに、
 ご陽気にいく。

 20代はじめのころ、
 アホ花盛り若気の至りの時代、
 いま思い出してもホッぺが緩んで元気が出てくる、
 チョ~たのしかった思い出のひとコマ、
 ちょっと聞いてくれはる?

 1988年というのは、
 じぶんにとってものすごく意味深く、
 またとても大切におもっている年。

 なぜなら、
 岩手の三陸地方にあった水産大学を卒業してすぐ、
 そのまま渋谷のセンター街の一角にできたばかりの、
 レゲエ専門のレコード店の店長に就任した年だからだ。

 もともと大阪の心斎橋にあった本店が、
 かねてより東京にも支店を出したいという意向があって、
 その本店の常連客でもあった自分に、
 白羽の矢を立ててもらったのだった。

 いまにしておもえば、
 なんと無謀なビジネス・プランであったことでしょうか。

 商いはおろか、
 社会生活さえ経験のない、
 学生気分の抜けないアホの子がたった独りで、
 なんとか店を運営できたのは、
 これはもうひとえに周囲の大人たちのおかげ。

 義を見てせざるはなんとやら…銭勘定ではなく心意気こそ、
 という生き方を選んだ大人たちが、
 影に日向に手を差し伸べてくれた、
 強力な協力の賜物あったればこそ。

 だから私は、
 そんな大人たちに囲まれて社会に出た。

 当時、
 おなじく渋谷にあったレゲエ専門の雑誌出版や、
 イベントおよびコンサート興行などをてがけていた会社と、
 我がレコード屋の本店のオーナーが古くから昵懇の間柄だったこと、
 そして、
 その会社と身内のような付き合いをしていた、
 渋谷のとあるバーのママさんの全面的なバックアップを得て、
 そのバーの隣に、
 ちいさなレゲエのレコード屋をオープンさせたのだった。

 そのバーも、
 もうだいぶまえに閉店してしまったけれど、
 いまにしておもえば、
 この店のママはほんとにすごい料理人だった。

 当時、
 日本で本格的なジャマイカ料理を作れるのはこの方だけだったはず。
 しかも見よう見まねの独学で。
 そしてさらにすごいのは、
 そんなジャマイカ料理を日本人の味覚に合うようにアレンジして店に出していたこと。

 どれもこれも、
 ママの料理はほんっっとにおいしかった。
 いまだ忘れがたい。

 と、
 そんなお店だったから、
 その当時コンサートのためにジャマイカから来日したアーティストのほとんどは、
 その店で食事をすることになった。

 その恩恵にあずかって、
 バーの隣にあった私の店にも、
 もはや数え切れないほどのアーティストや関係者が来店してくれた。

 そして1988年、
 レコード店をオープンした最初の年の夏、
 この当時の恒例だったレゲエ・ジャパンスプラッシュの参加アーティストたちはすごかった。
 バブル時代とともに到来したレゲエ・ブームのおおきな引き金になった伝説の一大イベント。
 豪華メンバーばかりがズラズラと来日した。

 古くからの大物ベテラン・アーティストはもちろん、
 いまをときめく旬の新進気鋭アーティストたちも勢ぞろいした。

 そして、
 そんなコンサートのバック演奏を務めたのが、
 スライ・ダンバーとロビー・シェイクスピア率いるタクシー・ギャングだった。

 当時もはやすでに、
 スライ&ロビーといえば、
 たんにレゲエのリズム隊という枠を超えて、
 世界の名だたるスーパースターたちからぜひ我が作品でも演奏を!と渇望される世界最強のリズム・セクションとして、
 もはや確固たる地位を築き上げていた。

 そんなロビー・シェイクスピアが、
 コンサートに出演する何人かのアーティストたちや関係者とともに、
 レコード屋のお隣のバーに食事に来たのは、
 来日してすぐ、
 これから日本中をツアーして回ってはりきってお仕事、
 となる前夜のことだった。

 レコード屋の外でワイワイガヤガヤと、
 さわがしいジャマイカ訛りの英語が飛び交い響きわたり、
 ご一行がバーに到着したことがわかった。

 店の閉店後に誰かまだいるようなら、
 あとでサインもらいに行こうなんておもいながら、

 我がレコード屋はそれとはまったく関係なく、
 いつものとおり通常営業。

 そしてそのとき、
 店内のBGMとして流していたのは、
 ヘプトーンズの「フリーダム・ライン」というアルバム。
 ご存じスタジオワン・レーベルのヘプトーンズ一連の名作アルバムのなかの一枚。

 この年のジャパンスプラッシュには、
 ベテラン部門のトリのひとりとして、
 このヘプトーンズのリード・ヴォーカリストだったリロイ・シブルスも参加予定だったので、
 我が家のレコード・コレクションからスタジオワンのヘプトーンズのアルバムをぜんぶ店に持参して、
 店内の壁に飾っていたのだった。
 
 今はどうだか知らないけれど、
 当時はスタジオワンのレコードは再プレスされておらず、
 ゆえになかなか市場に出回らないレア・アイテムの代表格だった。

 で、
 事件はおこった。

 唐突に店の扉がグイーッと開いて、
 真っ黒な肌の、
 見あげるような大男が顔をのぞかせて、
 カウンターのなかにいる私と目が合うと、
 低い声で「ハイ」といい、
 「はいってもいいか?」と聞いた。

 ……うっわ、よりにもよってロビー・シェイクスピアきちゃったよど~しよ……

 「こんにちは、どうぞどうぞ」
 ドキドキバクバクでうわずりながらウエルカム。

 ロビーは身をかがめるようにしてヌ~ッと店にはいってくると、
 カウンターのまえにまっすぐ来て、
 日本に到着してすぐ、
 両替してきたばかりであろう、
 いくばくかの日本円のはいった財布をバカッとひらいて、
 それをズイッと私の目の前に押し出して、
 あのロビーが言ったのだ。

 「いまかかっているレコード、ください」

 まるで、
 普通のお客さんのように。

 しかしこれは私の大事なコレクション。
 申し訳ないけれど売り物ではないのだと説明するのに、
 ものすごく骨が折れた。

 だって、
 引き下がらないんだもの。

 ロビーいわく、
 「このレコードが欲しくて、もうずっと探しているけど、世界中回ってるのにどこにもなくて、見つからないでいるのだと。
 しかしいま、隣の店で食事をしていたところ、なんと壁の向こうから、このレコードに収録されている曲が聴こえてくるではないか。
 これは食事どころではないと、飛んできました。どうか売ってください」

 平身低頭のていで、
 よりにもよってあのロビーにお願いされるワタシ…とっても困るホントに困った。

 とはいえ、
 「ほんとに申し訳ありません。ほかのレコードならいざ知らず、これは私の宝物なのです」
 と言うと、
 そんな私の気持ちも理解してくれるロビー。

 そこでロビーからの提案。

 「それじゃあ、そのレコードをカセットテープに録音させてくれないか?」

 「それならお安いご用です!私の手持ちのテープでよければ、お食事されているあいだに録音しておきますよ」

 というと、
 ロビーったら、
 それはイヤだって……。

 ハイポジの新品の良いテープを買ってくるから、
 そのテープに自分で録音させてくれって。

 「それじゃ、すぐそこの電気屋に走っていって私がテープ買ってくるから、
 そのあいだ店番しててください」

 テンパリ過ぎるあまりに、
 よりにもよって、
 あのロビーに店番をおしつけるワタシ。

 「え、いいの?」
 とまどいながら、
 私にじぶんの財布を丸ごと託すロビー。

 その財布を受け取り、
 脱兎のごとく駆け出したワタシ。

 かくして録音の準備は整った。

 狭いカウンターのなかに巨体を斜めによじりながらはいってきて、
 テープデッキのまえにしゃがみこむロビー・シェイクスピア。

 そして、
 テープの包装をやぶいて新品テープを取り出すと、
 テープの回転軸に指を入れて、
 余白の部分のテープをキレイに巻きとって頭出し。
 デッキにガチャリとテープを入れて、
 録音ボタンと同時にポーズ・ボタンをおして、
 慎重にレコードに針を落として、
 すかさずポーズ・ボタンを解除して………、

 あのロビーが、
 じぶんとまったくおんなじことしてる。

 そして録音がはじまると、
 こんどはペン貸してくれって、
 ロビーが言うの。

 新品カセットの白紙ラベルを取り出すと、
 レコードのジャケットを横に置いて、
 あのロビーが、
 背中を丸めてかがんで、
 ごっつい指で、
 チマチマチマチマ、
 それはもう丁寧に慎重に、
 ラベルにいちいち曲名を書いてんの。

 ぼくの隣で。
 肌と肌が触れあうほど近くで。

 そしてふたりで、
 だまったまんま、
 あらためて、
 ヘプトーンズのフリーダムラインを聴いた。

 もちろん緊張はしていたけれど、
 それ以上に、
 なんかたまらなく心地よく、
 リラックスしながら、

 大音量のなかの静寂に浸った。

 しかし、
 その静寂をやぶってドヤドヤッと店内になだれ込んできたのは、

220220 (1)1

 写真の左が、
 このアルバムのリード・ヴォーカルご本人のリロイ・シブルス!
 そしてその隣が、
 この当時の時のヒトでもあったルーテナント・スティッチ。

 この写真、
 ほんとはリロイの視線の先に、
 カウンターのところでふたり並んでしゃがんでるロビーと私が写っているんだけど、
 ふたりともあまりにもあまりな呆け顔。
 なので、
 ロビーに悪いし、
 じぶんも恥ずかしいし、
 その箇所はヘプトーンズのシングル盤で隠しました。

 ふたりの秘密ってことで。

 リロイいわく
 「隣でご飯食べてたら、オレの美声が壁の向こうから聞こえてきたんで、
 なんだなんだ?つって来てみたら、ロビーここにいたのかよ~」

 なんでも隣のバーでは、
 ロビーが食事中にいきなり忽然と消えてしまったって、
 いったいどこに行ってしまったんだって、
 ちょっとした騒ぎになっていたのだと、
 この写真を撮ってくれた日本人スタッフの方がホッとしていた。

 そしてロビーがリロイにむかって、
 このレコードはコイツの宝物なので売れないっていうから、
 テープに録音してるんだ、
 ということを説明すると、
 リロイ・シブルスはびっくりするほどよろこんでくれて、

 ここからもう大騒ぎ。

 なんと!
 こともあろうにリロイ・シブルスご本人が、
 このアルバムやほかのスタジオワンのレコード、
 コクソンのこと、
 シルヴァン・モリスのこと、
 ジャッキー・ミットーのこと、
 もうあれこれワーワー語ってくれて、
 言ってることは半分も理解できなかったけど……、

 レゲエの歴史を知っている方なら、
 リロイ・シブルスとロビー・シェイクスピアのおふたりが、
 ヘプトーンズのことやスタジオワンについて語りあっているって、
 それがどういうことか、
 どれだけものすごいことか、
 どれほど貴重なものか、
 わかるよね。

 しかも、
 その舞台はじぶんの店。

 身震いした。

 そしてハプニングはまだつづいた。

 話しのなかで、
 リロイ・シブルスが70年代初頭のスタジオワンの、
 もはやレゲエにとって永遠のスタンダード銘リズムのベースラインのほとんどを考案したことを、
 この場ではじめて知って、
 ひっくり返らんばかりに興奮するワタシ。

 「フルアップのリズム知ってんだろ?あれもオレの作ったベースラインなんだぜ」

 「えええ~~~知らんかった!!お客さんとか皆に教えてもいいですか?」

 「もちろん、ていうかむしろ皆に教えまくれ」

 なんてリロイと話していたらなんと!
 その横であのロビーが、
 鼻歌で、
 ~パース・ザ・クーチー・カミン・レフトハンド・サイド♪~
 って歌ったの。

 ここで調子こきまくってこきまくったワタシ。

 すかさず、
 ~コーケイン・ウィル・ブロウ・ユア・ヘッド・バット・センシミーリャ・イズ♪~

 「アイリ~~~!!!!!!」

 その場にいた全員ピタッとそろって決めフレーズ。

 「ラブ・ユア・ヴァイブス!ラブ・ユア・ヴァイブス!」

 リロイ・シブルスがそう言ってガバッとハグしてくれて……、

 ワタシは天に手が届いた。

220220 (3)3

 写真の左から、
 スティッチのマネージャーでもあるステレオ1・サウンドシステムのオーナー、
 たしかクレオール・レーベルの社長、
 スティッチ、
 わたし、
 そのうしろでのけぞってるのがリロイ・シブルス、
 その隣がこのツアーの総括責任者であらせられたものすごく偉いビッグバッド・ボス、
 そのうしろで顔だけ見えてるのがマキシ・プリーストのアホの弟、
 そして、
 脇っちょからチョコッと顔をのぞかせてるロビー・シェイクスピア。

 この写真を撮ったとき、
 ほんとおかしくて皆大爆笑だった。

 気をつかってくださった日本人スタッフの方が、
 どうせだから皆さんで記念撮影しましょうなんて言ってくださって、
 「そうしようそうしよう」なんて、
 皆でズラッと並んだんだけど、
 ロビーだけ反対側のカウンターのところにしゃがんで、
 そこに置いてあったレコードを夢中でチェックしてはって……、

 それで、
 皆で写真を撮るってことに気がついた、
 あのロビーが、
 まるで子供に戻ったみたいに、
 「ちょっとまってええ~~~、オレも写る~~」
 なんて叫んで、
 あわててカウンターから出てこようとしてるところ。

 ベースギターを抱えて、
 引き締まったカッコいい表情のクールなロビーの写真は、
 世界中にあまたある。
 けれど、
 こんなに表情が和らいでいるお茶目フェイスの素顔のロビーの写真は、
 ほかにあるやろか?


 まだつづきがあるんだけど、
 語らせてほしい。

 それで、
 ひとしきり皆でワーワー盛りあがったあと、
 さて、
 明日からハードワークですよ皆さん。
 なので、
 食事を終わらせてホテルにチェックインして、
 今夜はゆっくり休んで、
 ジャマイカ~日本の長旅の疲れを癒しましょう。

 ってことになって、
 皆また隣のバーに戻って行ったんだけど、
 ロビーだけス~ッと戻ってくると、
 「もうちょっと、レコード聴かせてくれないか?」
 って、
 あのロビーが聞いてくるの。

 「もちろんです」
 ってこたえて、
 「それなら、あともう30分ほどで閉店なので、そのあいだに食事してきてください。
 それからレコード聴きませんか?」
 って提案すると、

 「わかった。どうもありがとう」
 って。
 あのロビーが言った。

 で、
 閉店の時間になって店の看板をしまったら、
 ほんとにロビーがヒョイと顔出して、
 「もういい?」
 って聞いてきた。

 「オッケーです」

 というと、
 「おまえ、おなかすいてる?」
 ってロビーが聞いてきた。
 「ぜんぜん大丈夫ですよ」
 って言ったんだけど、
 
 またスッといったん消えると、
 こんどはビールふたつ抱えて店に戻ってきて、
 その一本を私に渡してくれて、
 チーンと瓶と瓶を軽くあわせて乾杯。

 「まずちょっとレコード見せてくれ」
 って、
 あのロビーが、
 私の店のレコードラックにズラ~ッと並んでるレコードを一枚一枚めくりながら、
 チェックしはじめた。

 まるで普通のお客さんのように。
 ものすごい熱心に、
 裏ジャケのクレジットとか真剣な表情で見ながら。

 そして、
 これが今も忘れられないんだけど、
 ロビー、
 ものすごい丁寧にレコード見てた。

 レコードをチェックし終わったあと、
 どうしても並んでるレコードがすこし乱れるんだけど、
 コーナーごとに見終わったら、
 かならずレコードの角を揃えてキチンと直してくれてた。

 いいお客さん。
 これ、
 レコード屋さんなら、
 わかるとおもうけど。

 そんな様子を、
 これは現実なのか?
 なんて見惚れてたら、
 また扉が開いて、

 日本人スタッフの方が、
 ママが作ってくれた特製の夕ご飯をお盆に載せて運んで来てくれて、
 「ロビーさんからおごりです」
 って。

 そして、
 「私、隣で打ち合わせしながら飲んでますので、終わったら知らせてください」
 って、
 スタッフの方は隣に戻っていった。

 そしてロビーは、
 選んだレコードをドサアッとカウンターのうえに載せて、
 「コレ、自分でかけてもいいか?」
 って聞くから、
 「どうぞどうそ」
 って。

 どんなレコード選んだんだろう?
 どんな曲を聴くんだろう?
 って、
 もう興味津々どころの騒ぎじゃないよ。

 あのとき、
 どんな曲を聴いたのか、
 メモしておかなかったことをすごく後悔してる。

 そして、
 あのロビーと、
 あのロビーとふたりで、
 レコードの試聴会のはじまり。

 ロビーが選んだレコードは、
 ほとんどが70年代のルーツ・レゲエのアルバムと、
 トレジャー・アイルなんかのロック・ステディのオムニバス・アルバム。

 ご自分が演奏されたのもあるし、
 当然ほかのバンドのもたくさんあった。
 今でこそ、
 その年代のレコードは価値が見直されてもてはやされているけれど、
 80年代後半のダンスホール全盛時代は、
 それらはもはや過去の遺物的な古いレコードになっていて、
 一部の好事家以外にはとんと人気はなかった。
 けして売れ筋ではなかった。

 というよりも、
 スライ&ロビーのタクシー・プロダクション自体が、
 エレクトロニックな電子音満載のハイテク・レゲエの先駆者でもあり、
 流行の最先端をひた走っていた。

 しかしロビーがしきりと言っていたのは、
 「古い時代のレコードがこんなにたくさん置いてあるレコード屋、世界中でほかにないぞ」
 って。

 なんか誇らしかったけど、
 白状すると、
 それはじぶんの意向ではなかった。
 じぶんもまた、
 当時は売れ筋の流行のダンスホールに夢中だったからだ。

 これは、
 大阪の本店におられた、
 このレコード屋のオーナーさんの意地とプライド。

 「かりにもレゲエのレコード屋が、レゲエの基本の定番レコード置いてないなんて、恥ずかしいことやねんで」 
 何度もそう言われて、
 当時、
 流行のダンスホールばかりに力を入れたがる自分はしかられた。

 そしてその本当の意味が身に沁みてわかったのは、
 このときよりも、
 もっとずっと後になってからのことだ。

 話を戻そう。

 私が夕ご飯を食べているあいだは、
 ロビーはずっとじぶんでターンテーブルにレコードを載せて、
 店内でいちばん良い音で聴ける位置にいちいち移動して、
 そこで仁王立ちになって聴いていた。

 かるく身体を揺らしながら。

 その様子を眺めながらご飯を食べているうちに、
 ロビーがどんなかんじにレコード針を下ろしたり上げたりしているか、
 タイミングみたいなのがなんとなくわかってきた。

 ので、
 「私がやりますよ」
 といって、
 ターンテーブルの操作係をかってでた。

 ロビーが差し出してくるレコードをターンテーブルに載せて、
 レコード盤に針を落として、
 ぜんぶ曲をかけるのではなく、
 テンポよくポンポンとレコード針を進めて、
 レコードの要所要所をどんどん聴いていくんだけど、

 すごい音量で聴いているので、
 レコード針をつぎの曲に進めるときには、
 ロビーが指先の手真似でヒョイを針をあげるジェスチャーをするので、
 それに従って針をあげて、
 すかさず次の曲に進めたり……、

 で、
 次の曲だけではなくて、
 気になった曲はもう一回最初から聴き直したりとかも頻繁にあって、
 そういうときも、
 手真似でヒョイッと針を戻す仕草をするので、
 それ見てまた最初に戻したりとか……、

 そんな気になった曲は、
 何度も何度も最初から聴き直したり、
 イントロだけ何回も繰り返して聴いたり、

 ほとんど会話もなく、
 ず~~っとそんなことをしながら、
 だまって、
 ふたりでレコードを聴いていた。

 といっても、
 終始無言だったわけではなく、
 レコードを取り換えたりする合間に、
 おもに私がロビーになにか質問するようなかんじで、
 一言二言話したりとかもして……。

 「あのさあ、どうしてスライ&ロビーのプロダクションはタクシー・ギャングって名前にしたの?」

 「タクシーは、偉い奴もそうでない奴も、有名な奴もそうでない奴も、どんな奴でも、乗せてくれっていう人間を乗車拒否しないだろ」

 その言葉になんら誇張はないこと、
 ほんとにそっくりそのままの活動を自然体でこなされていたこと、
 ぼくらはよ~く知っている。

 ボブ・ディランもプライヤーズも、
 グレース・ジョーンズもハーフ・パイントも、
 み~んなタクシーに乗車して、
 最高の最強のリズムに乗って、
 それぞれの立ち位置で一世一代の作品を創造した。

 あっというまに時間は流れてしまった。

 夢中でレコードを聴いていて、
 ふたりとも言葉は交わさずとも、
 阿吽の呼吸で息が合い、
 さあ、
 これからさらに浸っていこうかというとき、
  
 オズオズと店の扉が開いて、
 スタッフの方がはいってきた。
 そして、
 「あの、もうそろそろ……、
 それにビゼンさん、終電の時間だいじょうぶですか?」
 と言った。

 そのとき、
 あのロビーが、
 あ~満足…みたいなかんじで身体を伸ばしながら、
 「ほんとにありがとう。まさか日本でこんなにゆっくり聴きたかったレコードが聴けるなんて、思いもしなかった」
 と言ってくれた。

 そしておもむろに、
 ロビーがスタッフの方に言った。
 「彼とふたりの写真を撮ってくれないか?」
 って。

 「その写真、ぼくもぜったい欲しいです!」

220220 (2)2

 「この写真、ジャマイカに帰ったら部屋に飾る」
 ってロビーが言ってくれてポッとなった。

 「ぼくも飾ります」
 と言うと、
 「この写真見ると、あのとき、日本でおまえと一緒にあんな曲やこんな歌を聴いたな~とか、色々思い出せるだろ。
 それがこれからのヒット曲のアイディアやヒントになるんだ」
 と、
 あのロビーが、
 あのロビーがそう言った。

 なにか、
 気のきいた返しがしたいと必死になって、
 トリハダまみれで簡単な英語。

 「そしたら私の店が儲かりますね」

 ロビーがウハハと笑って、
 そして握手した。

 奥底からみなぎってくるような、
 突きあげてくるような、
 迫力のベース・ラインを生み出す、
 あの手でガシッと我が手をにぎってくれて、
 手の平が潰れるかとおもうほど固く握手した。

 あの夜は、
 何度も何度も天に手が届いた。



 ちなみに、
 この埋もれたトラディショナルな名曲をリメイク再構築して、
 ふたたび世に送り出したのも、
 ロビーのアイディアだったんだって。

220220 (4)4

 

 この曲のシングル盤は、
 この日のずっとあとに入手したものなんだけど、
 この曲が収録された「スタロワット」っていうコーネル・キャンベルのアルバムは、
 当時の店にもあって、
 ロビーがそれを見つけて、

 「このアルバム、バニー・リーがプロデュースってクレジットされてるけど、
 じつはオレがプロデュースもアレンジもぜんぶやったんだ。
 演奏だけじゃなくて、プロデュース業にも開眼した最初のレコードなんだぜ」

 って、
 とくに気を悪くしてる様子もなく、
 むしろ懐かしそうに淡々と語っていたのが印象的だったので、
 よく憶えている。

 あまり語られることはないし、
 ご本人もついぞ声高には語らなかったけれど、
 ロビーは単独でプロデューサーとしても、
 ほんとに素晴らしい仕事をたくさん残してくれている。

 このシングルはコーネル・キャンベルの歌もさることながら、
 なんてったって裏面のダブ・ヴァージョンが最高。
 ロビーの弾くベースの、
 メロディアスで、
 そしてひたむきな旋律がじぶんにはたまらない。
 ゾクゾクしてキュンとなる。

 ロビー・シェイクスピア、
 2021年12月8日死去。

 享年68歳との由。

 
  
追悼 ダディ・U ロイ
 油断すると、
 またもやおセンチが過ぎること綴ってしまって、
 あとでムチャクチャ後悔しそうなので気をつけよう。

 Godfather and trailblazer Daddy U-Roy has died

 これが虫の知らせというものなのか、
 昨朝たまたま見たジャマイカ新聞にて、
 ダディ・U ロイの訃報を知る。

 享年79歳との由。

 ダディの曲をはじめて聴いたのは高校3年生のとき。
 当時、
 唯一のレゲエ指南書だった名著「レゲエ・ブラッドライン」の、
 ほんのわずかなアーティスト紹介をたよりに、
 まったくわけもわからずジャケット買い。
 
 ド迫力のアルバム・ジャケットにただただ圧倒されながらのA面一曲目。
 まったくの白紙だった耳と琴線に、
 情け容赦なく、
 ズドンとまっすぐ飛び込んできたのがこの曲だった。



210220 (1)1

 それから何年も経って20代のころ、
 渋谷でレゲエのレコード屋をやっていたとき、
 ダディにサインをもらうなら、
 ぜひともこのアルバムに…とおもって御本人に差し出すと、

 MITSUGU の T のところを、
 ワタシの発音が悪かったので、
 ダディがまちがって E と書いた。

 「そのままでいいです」
 と言ったけれど、
 きわめてジャマイカ人気質的に訂正してくださった。

 いま、
 こうしてあらためてこのアルバム・ジャケットを眺めて、
 ダディありがとう、
 っておもった。

 いちレゲエ・ファンとして、
 万感の想いを込めて。

 あなたはぼくらの永遠のヒーローでゴッドファーザーで、
 そして誇り。

 昨日から、
 世界中にいる、
 じぶんとまったく同じ想いの同胞たちが、
 個々それぞれに想い入れひとしおのダディの曲を挙げていることだろう。

 じぶんはこの曲を……。



210220 (2)2

 ハイッ、
 しみったれるのはこれでおしまいですっ。

 
 我が同世代そして先輩がた、
 青春はロッカーズでラガマフィンの兄ちゃん姉ちゃんら、
 てゆ~かオッチャンにオバチャン、
 や~っぱこの曲いっとかんとアカンやろ~~?



 Wake the town and tell the people,
  about this musical disc comming your way way way ~♪


 ダディ、
 ありがとう。
 

 
 
 
 
RIDDIM WISE
200519 (2)2

 Spring Harvest inna de Backyard

 今年も、
 我が家の裏庭、
 というか裏の空き地に、
 行者ニンニクの群生がお芽見え。

 すでに旬の季節は過ぎましたが、
 今年もまた採って採って採りまくり、
 冷凍庫でパンパンに冷凍しています。

200519 (3)3

 もうだいぶまえ、
 とある釣り雑誌に行者ニンニクを褒め称える小噺入りの記事を書いたとき、
 「アイヌネギ」と書いた。
 心情的に敬愛の念を込めた親愛の愛称的なきもちで。
 そしたら当時の編集長から電話がかかってきて、
 ワタクシ個人的にはその呼称おおいに賛同しておるのですが……、
 と前置きして、
 ものすごく申し訳なさそうに、

 「もしかしたら、受け取り方によっては差別用語にとられかねない危惧もありまして……」

 「あ、そういうことなら月並みに行者ニンニクということで……」

 ワタクシことなかれ主義。

 たかだかそんなんで揉めたらしんどいし。

200519 (4)4

 春の陽射しを浴びてフカフカしている枯れた夏草の地面いっぱいに、
 行者ニンニクが生えてきて勝手に群生しているボクんちの裏庭。

 うらやましがってもいいよ。
 
 もともと行者ニンニクはご存じのとおり、
 山間の渓流の日当たりの良い斜面なんかに生えている植物。

 それがなぜ我が家の裏庭に生えているかというと、

 かつてそのむかし、
 この周辺に暮しておられた方々が、
 手間を惜しまず移植して、
 庭先にて丹精込めて育てておられたものなのだそう。

 そして時代が変わり、
 ここから人々が去り、
 さらに数十年を経て、
 ほとんどの家々は住む人もいない廃屋と化してしまった。

 けれど、
 冬を越して、
 春が来れば、
 ここに連れてこられた行者ニンニクたちの子孫は、
 かつての時代となんら変わることなく芽を出して、
 豊穣の春の訪れを告げてくれる。

 そんな輪廻転生を、
 長い時間を経て現在、
 流れ流れて流浪の新参者のワタシ、
 ご縁があってありがたく引き継がせていただいた。

 とくに手入れなど一切してないけど。

 来る日も来る日も食卓に並べ、
 飽きる気配もなく、
 たいへんおいしくいただいている。

 季節は巡る。
 因果は巡る。
 時代も巡る。

 和洋中どのような料理に添えても、
 ひと際味わいを引き立たせてくれる魔法の葉っぱ。
 
 ほんまに旨い。

 あの、
 シロートがあらたまっていまさらナニゆうてるねん…てかんじの発言なんですが、
 定番の「しょうゆ漬け」は漬かった葉っぱもさることながら、
 漬けたショーユがまたイロイロたまんないですね。

 200519 (5)5



 さいきん、
 じっくりレコード聴くときは、
 スタジオ1のレコードばかり聴いている。

 このアルバムがリリースされた69年から70年代後半くらいまでのスタジオ1のレコード。

 レゲエは年代として明確に一線引いて、
 1989年までがじぶんにとってのレゲエなんですが、
 その年代までのレゲエをいろいろ聴いていても、
 一周回ってやっぱりここに帰って来ました……っていうのがスタジオ1。



200519 (6)6
 極太ラージサイズのゴールドオーバルティンセルを、
 エゾリスのファーで包んだティンセルクイルボディな小型サーモンフライ。

 サイズ8番と6番。

 ウイングはコック・デ・レオンのルースター・クイル。
 ハックルはレオンのサドル。

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 ヒグマの金毛とマンダリンダックのフランクフェザーのファイバーをミックスした、
 フェザーウイングでもあり、
 ヘアウイングでもある小型サーモンフライ。

 ボディはフラットティンセルのうえにロードアイランドレッドのハックルストークを巻いて、
 さらにそのうえにエポキシ樹脂でコーティング。

 サイズは金メッキ・フックの8番と4番。

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 そしてこの一カ月、
 タイイング仕事のBGM として、
 ほとんどまいにち聴いている最近の必殺中の必殺は……、

 
 
 これすごいから。

 「ドレッド・アット・ザ・コントロール」
 マイキー・ドレッドによる70年代ジャマイカ国営ラジオ放送の名物深夜番組のエアチェック。

 78年のクリスマスの放送だそう。

 

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 ヘアーの根元付近が黒くて先端が真っ金色に輝いている、
 コントラスト鮮やかなヒグマの金毛をウイングにあしらった、
 簡素でシンプルだけど、
 ものすごく複雑な構造のストリーマー。

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 ボディに皺くちゃのゴールドシートを巻き込みながら、
 何層かに分けて重ねつつエポキシでコーティングしている。

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 マイキー・ドレッドのプロダクションでリリースされたアルバムで、
 とくにコレ一枚といえば、
 やはりジュニア・マーヴィンのこのアルバム。



 リー・ペリーとの共作「ポリスとコソ泥」がジュニア・マーヴィンの奇跡の代表作というなら、
 この曲は隠れた名曲だとず~っとおもっている。

 ユーチューブのコメント欄には、
 おなじような想いの見ず知らずの方々の言葉が並んでいて胸が熱い。

 このレコードを購入したのは、
 83年の夏、
 渋谷のタワーレコードにて。

 大学一年生のころ。

 数少ないレゲエの情報を貪るように読むというよりも暗記して、
 都内の輸入盤レコード店をはしごしていた。

 わけもわからず聴き漁っていた時代の思い出の一枚。

 でありながら、
 今もことあるごとにターンテーブルに載せる一枚。

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 ジュニア・マーヴィンのレコードで、
 個人的に忘れがたいのをもう一曲。

 このシングルは大学を卒業した88年の春、
 ロンドンのハーレスデンにあったジェットスターの旧倉庫にて、
 山のように積みあげられたレコードの塩化ビニールの香りにむせながら見つけ出したもの。

 ユーチューブのコメント欄には、
 故ジュニア・マーヴィンのお譲さまのコメントが。
 いわく「父の歌でこの曲がいちばん好きでした」との書きこみ。

 それに対するオッサンがたの返信がなんともステキだ。
 ある方の返信
 「子供のころに聴いて、今もまだずっと聴いていますよ」と……。

 おんなじヒト、
 ここにもいてます。

 ジャマイカからはるか彼方の東の国の北の端っこで、
 いまも変わらずず~っと聴いています。
レゲエ・クリスマス・アルバム2選
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 アフリカン・クリスマス。

 じつは、
 我が家にあるホーテンス・エリスのレコードのなかでもっとも試聴率の高いアルバム。
 毎年この日はたいがい聴くし。

  



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 おふざけエゾキンクマヤチネズミ tied on TMC947BL #4

 秋ヒグマの肩付近の背中の、
 ドライフライにはものすごいおいしい部位の素晴らしい金毛をワクワクしながら切り出してみば、
 ビッシリ密集している金毛の肝心の毛先が悲しいくらいにチョチョ切れているではありませんか嗚呼ご無体。
 しかし破棄するにはあまりに忍びなくて……、

 という残念な金毛をハックリング?
 したネズミ型アトラクター・ドライフライ・ジャンボ毛虫系。

 ヒグマのスキンを切り分けていて、
 つくづく残念なのは、
 個体によって左右どちらかの「おいしい部分」の毛先に欠損がやたらと多い。

 左側の毛はおもわず「うっとり」
 なのに
 右側の同じ部位は生活で酷使された感のある切れ毛ばかりとか。

 右利き左利きあるんでしょうね?
 




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 まじめなバイビジブル・ヴァリエイション tied on TMC900BL #10



 



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 「グリーンハイランダー・パロディ」

 それぞれのスタイルのグリーンハイランダーを4本。
 いちばんちっちゃいのでサイズ6/0。

 まだ製作途上です。

 気分になったら一本作り、
 また気分になったら一本作りで。

 目指したいのはこのアルバムジャケットわはは。



 Merry Christmas to you all.

 

カルチャー
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 CULTURE TELL ME WHERE YOU GET IT

 70年代の土着系ルーツ・レゲエ・コーラスグループの看板的存在だったカルチャーの三枚目を数える「AFRICA STAND ALONE」
 カルチャーにとっては痛恨そしてまた痛悔のアルバム。
 ドラゴンちゅーニュージャージーの怪しいレーベルにデモテープだか練習用だかに録った演奏テープを持ち逃げされ、
 ご本人たちにとって未完成の作品を勝手にリリースされ、
 あろうことか78年のリリース当時よりにもよって日本盤をはじめ各国でもリリースされちゃって、
 不本意な作品が世界中で「これがカルチャーの作品」として聴かれてしまうなんて屈辱。

 もうふんだりけったり。

 プライドと誇りがドレッドロックス振りみだしてるような方々だっただけに、
 その胸中はいかばかりであろうか。

 しかももちろん、
 ご本人たちには一銭の利益もなく……、

 という、
 カルチャーとしては自らの公式作品として認めていない、
 いわばいわくつきのアルバム。

 そうした背景を知ったレゲエ好き駆け出し時代のころ、
 このレコード大嫌いだった。
 さらに、
 90年はじめのカルチャーの来日公演の際、
 当時の仕事柄の役得で、
 カルチャーの中心人物だった故ジョセフ・ヒルに質問しまくる時間をいただくという幸運を与えられ、
 神秘のベールの向こう側にいたご本人からじかに当時のいろんな話を聞いたものだから、
 もう感化されまくり影響うけまくりジャーラスタファーライ。

 あのころほんとに若かった。
 思い込みは頑なでした。

 あれから30年も経ってしまいましたねオソロシイデスネシンジラレナイ。

 30年も経ったのに、
 紆余曲折あったにせよ飽きもせずまだずーっと熱心にレゲエ聴いてるちゅーか、
 聴けば聴くほどに情が深まるばかりというのもナニですが、

 そのうえでぼくの結論言います。
 カルチャーの全アルバムのなかでもコレがいちばん響く。
 このアルバムこそぼくにとってのカルチャーのベストと言い切りたい。
 
 ジョー・ギブスやハイ・ノートの同時代のアルバムは、
 フルのホーン陣やギターやミックスはりきりすぎてゴージャスな装飾がちょいしんどい。
 当時のレゲエのインターナショナルな売り込み方のひとつでもあった、
 ロックでポップなアプローチでボブマーリーを横目に意識しておったのでしょうか?

 このアルバムは、
 そんな商業ベースなカルチャーとは対極をなす、
 ジャマイカはキングストンのきな臭さプンプンの根ざしたかんじのストイックさが素晴らしくいい。
 
 ビタッと決まったミニマムなドラム&ベース、
 贅肉を削ぎ落しつくしたようなシンプルなリズムが浮き立たせる、
 ジョセフ・ヒルのダイレクトな肉声にシビまくる。

 叩きすぎず出しゃばらないナイヤビンギなタイコと、
 ヴォーカルが一体化していくような瞬間もたまらない。
 
 皮肉にも、
 手の平をマルッと反対側に返したような言い切り文句なんだけど、
 えらい長いことひたすら繰り返しアレコレ聴きまくってからモノ言ってる自負あるので撤回しません。

 でもねえ、
 そんな大上段な口調で断言するちゅうかモノ言ってもいいかしらと思える心境になるまで、
 途方もない時間がかかっとんですよ。

 人様のお創りになったものを「こうだ」と断言するってことは、
 自分にもそれなりの積み重ねてきた背景と経験ってものが絶対的に必要だとおもってます。

 言葉は軽くないよ。
 CULTURE THIS TRAIN

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