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BIZENアングラ・アングラーズ
フライフイッシングとフライタイイングに関する話題など
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RIDDIM WISE
200519 (2)2

 Spring Harvest inna de Backyard

 今年も、
 我が家の裏庭、
 というか裏の空き地に、
 行者ニンニクの群生がお芽見え。

 すでに旬の季節は過ぎましたが、
 今年もまた採って採って採りまくり、
 冷凍庫でパンパンに冷凍しています。

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 もうだいぶまえ、
 とある釣り雑誌に行者ニンニクを褒め称える小噺入りの記事を書いたとき、
 「アイヌネギ」と書いた。
 心情的に敬愛の念を込めた親愛の愛称的なきもちで。
 そしたら当時の編集長から電話がかかってきて、
 ワタクシ個人的にはその呼称おおいに賛同しておるのですが……、
 と前置きして、
 ものすごく申し訳なさそうに、

 「もしかしたら、受け取り方によっては差別用語にとられかねない危惧もありまして……」

 「あ、そういうことなら月並みに行者ニンニクということで……」

 ワタクシことなかれ主義。

 たかだかそんなんで揉めたらしんどいし。

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 春の陽射しを浴びてフカフカしている枯れた夏草の地面いっぱいに、
 行者ニンニクが生えてきて勝手に群生しているボクんちの裏庭。

 うらやましがってもいいよ。
 
 もともと行者ニンニクはご存じのとおり、
 山間の渓流の日当たりの良い斜面なんかに生えている植物。

 それがなぜ我が家の裏庭に生えているかというと、

 かつてそのむかし、
 この周辺に暮しておられた方々が、
 手間を惜しまず移植して、
 庭先にて丹精込めて育てておられたものなのだそう。

 そして時代が変わり、
 ここから人々が去り、
 さらに数十年を経て、
 ほとんどの家々は住む人もいない廃屋と化してしまった。

 けれど、
 冬を越して、
 春が来れば、
 ここに連れてこられた行者ニンニクたちの子孫は、
 かつての時代となんら変わることなく芽を出して、
 豊穣の春の訪れを告げてくれる。

 そんな輪廻転生を、
 長い時間を経て現在、
 流れ流れて流浪の新参者のワタシ、
 ご縁があってありがたく引き継がせていただいた。

 とくに手入れなど一切してないけど。

 来る日も来る日も食卓に並べ、
 飽きる気配もなく、
 たいへんおいしくいただいている。

 季節は巡る。
 因果は巡る。
 時代も巡る。

 和洋中どのような料理に添えても、
 ひと際味わいを引き立たせてくれる魔法の葉っぱ。
 
 ほんまに旨い。

 あの、
 シロートがあらたまっていまさらナニゆうてるねん…てかんじの発言なんですが、
 定番の「しょうゆ漬け」は漬かった葉っぱもさることながら、
 漬けたショーユがまたイロイロたまんないですね。

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 さいきん、
 じっくりレコード聴くときは、
 スタジオ1のレコードばかり聴いている。

 このアルバムがリリースされた69年から70年代後半くらいまでのスタジオ1のレコード。

 レゲエは年代として明確に一線引いて、
 1989年までがじぶんにとってのレゲエなんですが、
 その年代までのレゲエをいろいろ聴いていても、
 一周回ってやっぱりここに帰って来ました……っていうのがスタジオ1。



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 極太ラージサイズのゴールドオーバルティンセルを、
 エゾリスのファーで包んだティンセルクイルボディな小型サーモンフライ。

 サイズ8番と6番。

 ウイングはコック・デ・レオンのルースター・クイル。
 ハックルはレオンのサドル。

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 ヒグマの金毛とマンダリンダックのフランクフェザーのファイバーをミックスした、
 フェザーウイングでもあり、
 ヘアウイングでもある小型サーモンフライ。

 ボディはフラットティンセルのうえにロードアイランドレッドのハックルストークを巻いて、
 さらにそのうえにエポキシ樹脂でコーティング。

 サイズは金メッキ・フックの8番と4番。

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 そしてこの一カ月、
 タイイング仕事のBGM として、
 ほとんどまいにち聴いている最近の必殺中の必殺は……、

 
 
 これすごいから。

 「ドレッド・アット・ザ・コントロール」
 マイキー・ドレッドによる70年代ジャマイカ国営ラジオ放送の名物深夜番組のエアチェック。

 78年のクリスマスの放送だそう。

 

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 ヘアーの根元付近が黒くて先端が真っ金色に輝いている、
 コントラスト鮮やかなヒグマの金毛をウイングにあしらった、
 簡素でシンプルだけど、
 ものすごく複雑な構造のストリーマー。

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 ボディに皺くちゃのゴールドシートを巻き込みながら、
 何層かに分けて重ねつつエポキシでコーティングしている。

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 マイキー・ドレッドのプロダクションでリリースされたアルバムで、
 とくにコレ一枚といえば、
 やはりジュニア・マーヴィンのこのアルバム。



 リー・ペリーとの共作「ポリスとコソ泥」がジュニア・マーヴィンの奇跡の代表作というなら、
 この曲は隠れた名曲だとず~っとおもっている。

 ユーチューブのコメント欄には、
 おなじような想いの見ず知らずの方々の言葉が並んでいて胸が熱い。

 このレコードを購入したのは、
 83年の夏、
 渋谷のタワーレコードにて。

 大学一年生のころ。

 数少ないレゲエの情報を貪るように読むというよりも暗記して、
 都内の輸入盤レコード店をはしごしていた。

 わけもわからず聴き漁っていた時代の思い出の一枚。

 でありながら、
 今もことあるごとにターンテーブルに載せる一枚。

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 ジュニア・マーヴィンのレコードで、
 個人的に忘れがたいのをもう一曲。

 このシングルは大学を卒業した88年の春、
 ロンドンのハーレスデンにあったジェットスターの旧倉庫にて、
 山のように積みあげられたレコードの塩化ビニールの香りにむせながら見つけ出したもの。

 ユーチューブのコメント欄には、
 故ジュニア・マーヴィンのお譲さまのコメントが。
 いわく「父の歌でこの曲がいちばん好きでした」との書きこみ。

 それに対するオッサンがたの返信がなんともステキだ。
 ある方の返信
 「子供のころに聴いて、今もまだずっと聴いていますよ」と……。

 おんなじヒト、
 ここにもいてます。

 ジャマイカからはるか彼方の東の国の北の端っこで、
 いまも変わらずず~っと聴いています。
レゲエ・クリスマス・アルバム2選
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 アフリカン・クリスマス。

 じつは、
 我が家にあるホーテンス・エリスのレコードのなかでもっとも試聴率の高いアルバム。
 毎年この日はたいがい聴くし。

  



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 おふざけエゾキンクマヤチネズミ tied on TMC947BL #4

 秋ヒグマの肩付近の背中の、
 ドライフライにはものすごいおいしい部位の素晴らしい金毛をワクワクしながら切り出してみば、
 ビッシリ密集している金毛の肝心の毛先が悲しいくらいにチョチョ切れているではありませんか嗚呼ご無体。
 しかし破棄するにはあまりに忍びなくて……、

 という残念な金毛をハックリング?
 したネズミ型アトラクター・ドライフライ・ジャンボ毛虫系。

 ヒグマのスキンを切り分けていて、
 つくづく残念なのは、
 個体によって左右どちらかの「おいしい部分」の毛先に欠損がやたらと多い。

 左側の毛はおもわず「うっとり」
 なのに
 右側の同じ部位は生活で酷使された感のある切れ毛ばかりとか。

 右利き左利きあるんでしょうね?
 




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 まじめなバイビジブル・ヴァリエイション tied on TMC900BL #10



 



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 「グリーンハイランダー・パロディ」

 それぞれのスタイルのグリーンハイランダーを4本。
 いちばんちっちゃいのでサイズ6/0。

 まだ製作途上です。

 気分になったら一本作り、
 また気分になったら一本作りで。

 目指したいのはこのアルバムジャケットわはは。



 Merry Christmas to you all.

 

カルチャー
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 CULTURE TELL ME WHERE YOU GET IT

 70年代の土着系ルーツ・レゲエ・コーラスグループの看板的存在だったカルチャーの三枚目を数える「AFRICA STAND ALONE」
 カルチャーにとっては痛恨そしてまた痛悔のアルバム。
 ドラゴンちゅーニュージャージーの怪しいレーベルにデモテープだか練習用だかに録った演奏テープを持ち逃げされ、
 ご本人たちにとって未完成の作品を勝手にリリースされ、
 あろうことか78年のリリース当時よりにもよって日本盤をはじめ各国でもリリースされちゃって、
 不本意な作品が世界中で「これがカルチャーの作品」として聴かれてしまうなんて屈辱。

 もうふんだりけったり。

 プライドと誇りがドレッドロックス振りみだしてるような方々だっただけに、
 その胸中はいかばかりであろうか。

 しかももちろん、
 ご本人たちには一銭の利益もなく……、

 という、
 カルチャーとしては自らの公式作品として認めていない、
 いわばいわくつきのアルバム。

 そうした背景を知ったレゲエ好き駆け出し時代のころ、
 このレコード大嫌いだった。
 さらに、
 90年はじめのカルチャーの来日公演の際、
 当時の仕事柄の役得で、
 カルチャーの中心人物だった故ジョセフ・ヒルに質問しまくる時間をいただくという幸運を与えられ、
 神秘のベールの向こう側にいたご本人からじかに当時のいろんな話を聞いたものだから、
 もう感化されまくり影響うけまくりジャーラスタファーライ。

 あのころほんとに若かった。
 思い込みは頑なでした。

 あれから30年も経ってしまいましたねオソロシイデスネシンジラレナイ。

 30年も経ったのに、
 紆余曲折あったにせよ飽きもせずまだずーっと熱心にレゲエ聴いてるちゅーか、
 聴けば聴くほどに情が深まるばかりというのもナニですが、

 そのうえでぼくの結論言います。
 カルチャーの全アルバムのなかでもコレがいちばん響く。
 このアルバムこそぼくにとってのカルチャーのベストと言い切りたい。
 
 ジョー・ギブスやハイ・ノートの同時代のアルバムは、
 フルのホーン陣やギターやミックスはりきりすぎてゴージャスな装飾がちょいしんどい。
 当時のレゲエのインターナショナルな売り込み方のひとつでもあった、
 ロックでポップなアプローチでボブマーリーを横目に意識しておったのでしょうか?

 このアルバムは、
 そんな商業ベースなカルチャーとは対極をなす、
 ジャマイカはキングストンのきな臭さプンプンの根ざしたかんじのストイックさが素晴らしくいい。
 
 ビタッと決まったミニマムなドラム&ベース、
 贅肉を削ぎ落しつくしたようなシンプルなリズムが浮き立たせる、
 ジョセフ・ヒルのダイレクトな肉声にシビまくる。

 叩きすぎず出しゃばらないナイヤビンギなタイコと、
 ヴォーカルが一体化していくような瞬間もたまらない。
 
 皮肉にも、
 手の平をマルッと反対側に返したような言い切り文句なんだけど、
 えらい長いことひたすら繰り返しアレコレ聴きまくってからモノ言ってる自負あるので撤回しません。

 でもねえ、
 そんな大上段な口調で断言するちゅうかモノ言ってもいいかしらと思える心境になるまで、
 途方もない時間がかかっとんですよ。

 人様のお創りになったものを「こうだ」と断言するってことは、
 自分にもそれなりの積み重ねてきた背景と経験ってものが絶対的に必要だとおもってます。

 言葉は軽くないよ。
 CULTURE THIS TRAIN

Raw RUB A DUB Inna Different Style


 グレゴリー・アイザックスとルーツ・ラディックス 81年の一発録りライブレコーディングat 英BBC。

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 Crucial.

ジョン・ホルト
 レゲエのことを知らない方でも、
 テレビのCMやらなんやら、
 いろんなひとにカヴァーされたりとか、
 聞き覚えのある歌かもしれません。
 The Paragons (John Holt) - The Tide Is High

 今夜は、
 この歌のオリジナル・シンガーのひとり、
 ジョン・ホルトのお話しです。

 レゲエのこと知らない人は、
 ちゅうか、
 80年代初めのレゲエ事情を知らない方は、
 わっけわからんとおもいます。
 
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 この時期、
 ずっと家にこもってタイイング机にかじりつき巻いたり撮ったりモロモロ励んでいるので、
 必然的に一日中レコードが回っておる状態です。
 音楽生活としても、
 なかなかコユイものがあるわけだ。

 年明けからこっち、
 マイブームはなんちゅうてもジョンジョのヴォルケイノ。
 我が家にかろうじて残っていた数少ない同レーベルのレコードをひっぱりだして、
 ひさびさにロッキン・ドリーとかパス・ザ・クシュンペンとか、
 ズングズングズンググゼンとか、
 当時熱心に聴いていた懐かしのワンドロップ・ドライヴィンに、
 フライを巻く手も軽やかだった。

 で、
 なんちゅうてもズ~~~ッと家におるわけですから、
 お仕事しながらズ~~~~ッと聴いてるわけですから、
 あらかた聴き過ぎてすぐ飽きて、

 なんかジョンジョの手がけたレコード他になかったかいなと、
 段ボール箱にしまって押し入れの肥やしとなって幾年月。
 ぶっちゃけ 「ほぼ忘却のかなたにあった」 レコード群もひっぱりだして、
 
 そのなかにあったのが、
 このジョンホルトのサイン付きアルバム。
 表題曲が当時のサウンドシステムに旋風を巻き起こし、
 ジャマイカ国内では往年のロックステディ時代以来の空前の大ヒット。
 となったアルバム。

 なんだけど、
 このアルバムがでた当時、
 1983年から84年にかけて、
 なんちゅうても時代はイエローマンにシュガーマイノット、
 そして、
 バーリントン・リーヴィだフランキーポールだココティだ、
 リトルジョンだマイケル・パーマーだと、
 つぎから次へと頭角をあらわしすフレッシュな新時代アーティストのヒット曲を追いかけるのに夢中だった。

 だって若かったんだもの。

 そこへくると、
 このベテランの一大復活アルバムは、
 当時はなんとも地味で暗くて一本調子に聴こえて、
 まったくピンとこなかった。

 にもかかわらず、
 なんでこのレコードが我が家にあるかというと、
 じぶんの名前まで入れてもらったサインが書かれているからだ。

 売り飛ばすわけにもいかず、
 ヒトに譲るのも気が引ける……、

 と、
 そんな持て余し気味だったレコードに、
 なんでサインしてもろたかというと……、

 1992年のジョン・ホルトとアルトン・エリスの来日公演のとき、
 ぼくが働いていた渋谷のレゲエのレコード屋にジョン・ホルトが表敬訪問してくださって、
 そのとき、
 「パラゴンズ時代もふくめて、記念にこの店に在庫しているアナタのレコードのなかから、
 いちばん想い入れのあるレコードにサインしてくれませんか?」
 ったら、
 「う~~んそれは難しいヨ」
 とか言いながら盛りあがって、

 なんせ多作の御大、
 当店のジョンホルト・コーナーもけっこう充実していた。

 でさあ、
 ジョンホルト御自身が、
 うちの店の御自分のコーナーのレコード棚のまえで一枚一枚レコードめくりながら悩みはるわけ。

 いまにしておもえば、
 そんな貴重な光景っていうか、
 大御所中の大御所にそんなことを気軽にたのんじゃう若さって怖い。
 ものがわかってないって怖ろしい。

 でも当時、
 店に来てくれたほとんどのアーティストやミュージシャンにサインたのむとき、
 そうやって御本人が大事に思ってるレコードえらんでもろて、
 それにサインを頼んでた。

 かならず盛りあがるから。
 どんな大物アーティストでも、
 旬のアーティストでも、
 新人ならなおのこと、
 みんな「自分のレコードがこんなに日本で売られてるなんて思いもせんかった」
 ってメッチャよろこぶ。

 なかには、
 なんでオレさまは日本でもこんなに有名やのにいっこももうかれへんのや?
 と、
 おもっくそカン違いして、
 当店にて一席ぶっていく御大もおられた。

 誰とはいわんけど……。

 そしてぼくは、
 そのアーティストがさらに好きになった。

 話しがだいぶ脱線したので軌道修正。

 そんでまあ、
 何枚かの御自身の作品のなかから、
 そのときジョンホルトが選んでサインしてくださったのが、
 この地味なアルバムだった。

 ものすごく意外だった。
 トレジャーアイルのでもスタワンのでも、
 バニーリーのだって、
 なんならデニスと共演したのだって、
 名作秀作ほかにいろいろあったのに。

 というようなことを懐かしく、
 あまずっぱく思い出しながら、
 何十年ぶりかでこのアルバムにレコード針を落として……、

 そしてフライを巻きはじめて、
 あ、
 なんかいま聴くと新鮮でわるくないじゃん、
 なんておもいながら、

 A面さいごのこの曲がかかり、
 
 

 
 フライを巻く手がピタリと止まってしまい……、
 われ知らずリズムにのせて揺れ動く心とからだ。


 そして、
 B面さいごのこの曲

 
 
 タムリンズにトニータフ、
 それにアルキャンベルのバックコーラスも冴えわたり、
 たまらんもんがある。

 あのころ、
 第一印象だけで地味だと決めつけていたアルバムを、
 いま聴いてみれば、
 なんと表情豊かで多彩で自在で存在感のあるボーカルであることか。

 そして、
 そんな骨太の堂々のボーカルを支え際だたせ浮き出させてくれる、
 ラディックスのぜい肉をそぎ落としつくして骨組みだけのような渋すぎる演奏、
 さらにそして、
 ドラムの鳴りにこだわって時代を築いたチャンネルワン・スタジオにて、
 その売りを最大限に活かしたソルジーのミックスも、
 みんなみんな、

 ぜんぶいい!

 さいっこうにグッとくる。

 以来、
 朝な夕なこのレコードがターンテーブルにのっております。

 嗜好や好みや、
 なんなら志向も、
 経験と年月を積み重ねるうちに、
 しらずしらず刻々変化する。

 と、
 そんなジョン・ホルトも一昨年亡くなられた。
 
 レゲエのレコード屋で働いて雑誌に記事も書かせてもろて、
 という役得だけで、
 巨匠とのまたとない出会いの機会に恵まれながら、
 あのころマジでな~んもわかってなかった。

 ようやく気づいたときには、
 もはや時すでに遅し……ぼくはいつもそうだ。

 でもまあ、
 それでいいよね。
 っていうか、
 そんなもんですよね。

 なんせ、
 このレコードにサインしてもろて、
 ほんとによかったと、
 24年も経ってようやくおもってる。
 
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