アイザック・ウォルトンかく語りき。
「良心を失った人間が、価値あるものを残すことはない」

この羽根は、
静岡で暮らしていたころ広島まででかけていって購入した。
もうかれこれ15年以上もまえのこと。
そのとき、
原爆資料館を見学する機会を得た。
広島でお世話になった友人の奥さまが同行してくれた。
すべての展示を見終えて、
奥さまにお付き合いいただいたことをつくづく感謝した。
独りだったら重過ぎてとても受け止めきれそうにない。
資料館の出口につづく長い通路を歩いていると、
ベンチのところに黒人の父子が座っていた。
ふたりとも視線を宙に泳がせて定まらず放心のてい。
まるで魂が抜けてしまったようだ。
その様子は、
かれらが剥き出しの感受性でこの展示を見学して、
そしてどれほどのショックを受けたのかを、
全身で表現しているようだった。
そんな父子ふたりの悲壮な表情を、
いまなお鮮烈に思い出せる。

昨年の11月、
大阪で開催されたイベントにて。
あのとき、
原爆資料館見学につきあってくれた奥さまが大阪観光のついでにイベント会場に寄ってくださった。
久々の再会をよろこびながら、
昼ご飯をご一緒した。
いちばん話したかったこと、
…あの黒人の父子の姿をいまもおりに触れて思い出します…、
という話をすると、
奥さまもよく憶えておられて、
…けっきょくさあ、あのとき戦争の悲惨さを我々にもっともつよく印象づけてくれたのは、なによりもあの父子だったよね…
懐かしい話に花を咲かせた。
広島の原爆資料館はぜったいに見ておくべきだ、
と、
まだ20代だったころのぼくに教えてくれたのは、
生まれも育ちもジャマイカであらせられるフレディ・マクレガー。
日本ツアーのおり、
広島公演のあと立ち寄って大きな衝撃を受けたのだそうだ。
そして、
その余韻が醒めやらぬとき、
音楽雑誌の記事のために、
ワタシが彼にインタビューさせていただける機会を与えてもらった。
そのさい、
そんな話も聞かせてもらったのだった。
だから、
よけいに見ておきたかった。

ここオホーツク地方の片田舎では、
きょうもきょうとて、
ジャマイカの黒人が創った音楽をズンズン響かせながら、
イギリスの白人が発明したサカナ釣りの道具を、
骨の髄からニッポン人のワタシがせっせとこしらえている。
そしてそのふたつがなければ、
もはやじぶんは生きている意味がない。
逆にいえば、
ワタシはレゲエとフライフイッシングのおかげで生かされている。
だからこそ、
ここ数日のアチラのお国での出来事が悲しい。
暗澹たる気持ちになる。
世界は、
もっと思慮深いものではなかったのか?

今夜はギョーザつくった。
具にアイヌネギの醤油漬けをガツンと効かせたやつ……。
なので、
タレはつけないでこのままいただきます。

赤毛の巨大な春ヒグマの頭部。
コレ、
見れば見るほどにすごいよ。
ナイフをいれるのがためらわれるオーラなんだけど覚悟を決めて……、
スイマセン、
もうちょいまっててくださいね。

キンキンの金毛も、
すっばらしいの、
我が家に届いてます。
世を憂いているヒマなんかないんだけど……、
きょうは朝起きて、
珈琲淹れて飲んで、
釣りにも行かずフライ巻いて、
裏庭の素人畑の草むしりして、
フライ巻いてたら、
正午を知らせる集落のサイレンが鳴って、
キャベツ山盛りの塩焼きそば目玉焼き添えつくって食って、
フライ巻いて、
夕方散歩がてら近所の川の様子見に行って、
フライ巻いて、
風呂はいって、
ギョーザ包んで焼いて食って、
フライ巻いて、
それからブログ書いて、
書き終わったら、
床がビリビリ震えるような重低音でコレ聴いて、

そしてこのビデオを観たら、
布団のなかでこの本のページめくりながら、
きょうはやすみます。
アンニュイなロンリー気分の深夜、
ゲーリー・ラフォンテーンは効くぜ。
「良心を失った人間が、価値あるものを残すことはない」

この羽根は、
静岡で暮らしていたころ広島まででかけていって購入した。
もうかれこれ15年以上もまえのこと。
そのとき、
原爆資料館を見学する機会を得た。
広島でお世話になった友人の奥さまが同行してくれた。
すべての展示を見終えて、
奥さまにお付き合いいただいたことをつくづく感謝した。
独りだったら重過ぎてとても受け止めきれそうにない。
資料館の出口につづく長い通路を歩いていると、
ベンチのところに黒人の父子が座っていた。
ふたりとも視線を宙に泳がせて定まらず放心のてい。
まるで魂が抜けてしまったようだ。
その様子は、
かれらが剥き出しの感受性でこの展示を見学して、
そしてどれほどのショックを受けたのかを、
全身で表現しているようだった。
そんな父子ふたりの悲壮な表情を、
いまなお鮮烈に思い出せる。

昨年の11月、
大阪で開催されたイベントにて。
あのとき、
原爆資料館見学につきあってくれた奥さまが大阪観光のついでにイベント会場に寄ってくださった。
久々の再会をよろこびながら、
昼ご飯をご一緒した。
いちばん話したかったこと、
…あの黒人の父子の姿をいまもおりに触れて思い出します…、
という話をすると、
奥さまもよく憶えておられて、
…けっきょくさあ、あのとき戦争の悲惨さを我々にもっともつよく印象づけてくれたのは、なによりもあの父子だったよね…
懐かしい話に花を咲かせた。
広島の原爆資料館はぜったいに見ておくべきだ、
と、
まだ20代だったころのぼくに教えてくれたのは、
生まれも育ちもジャマイカであらせられるフレディ・マクレガー。
日本ツアーのおり、
広島公演のあと立ち寄って大きな衝撃を受けたのだそうだ。
そして、
その余韻が醒めやらぬとき、
音楽雑誌の記事のために、
ワタシが彼にインタビューさせていただける機会を与えてもらった。
そのさい、
そんな話も聞かせてもらったのだった。
だから、
よけいに見ておきたかった。

ここオホーツク地方の片田舎では、
きょうもきょうとて、
ジャマイカの黒人が創った音楽をズンズン響かせながら、
イギリスの白人が発明したサカナ釣りの道具を、
骨の髄からニッポン人のワタシがせっせとこしらえている。
そしてそのふたつがなければ、
もはやじぶんは生きている意味がない。
逆にいえば、
ワタシはレゲエとフライフイッシングのおかげで生かされている。
だからこそ、
ここ数日のアチラのお国での出来事が悲しい。
暗澹たる気持ちになる。
世界は、
もっと思慮深いものではなかったのか?

今夜はギョーザつくった。
具にアイヌネギの醤油漬けをガツンと効かせたやつ……。
なので、
タレはつけないでこのままいただきます。

赤毛の巨大な春ヒグマの頭部。
コレ、
見れば見るほどにすごいよ。
ナイフをいれるのがためらわれるオーラなんだけど覚悟を決めて……、
スイマセン、
もうちょいまっててくださいね。

キンキンの金毛も、
すっばらしいの、
我が家に届いてます。
世を憂いているヒマなんかないんだけど……、
きょうは朝起きて、
珈琲淹れて飲んで、
釣りにも行かずフライ巻いて、
裏庭の素人畑の草むしりして、
フライ巻いてたら、
正午を知らせる集落のサイレンが鳴って、
キャベツ山盛りの塩焼きそば目玉焼き添えつくって食って、
フライ巻いて、
夕方散歩がてら近所の川の様子見に行って、
フライ巻いて、
風呂はいって、
ギョーザ包んで焼いて食って、
フライ巻いて、
それからブログ書いて、
書き終わったら、
床がビリビリ震えるような重低音でコレ聴いて、

そしてこのビデオを観たら、
布団のなかでこの本のページめくりながら、
きょうはやすみます。
アンニュイなロンリー気分の深夜、
ゲーリー・ラフォンテーンは効くぜ。
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