大阪の老舗釣具店のひとつ、
フイッシングサロン心斎橋が長い歴史にひと区切りをつけられ、
数年前に店舗を閉店されたことは、
すこしまえに大阪在住の事情通な方々から聞いていて、
じみじみ、
つくづく感慨深かった。
父親に連れられて、
このお店にはじめてはいったのは、
自分がまだ小学六年生のころ。
じつに40数年まえのこと。
そのころはまだお店は心斎橋の「そごう」だっけ?
「大丸」だっけ?
百貨店のなかに店舗があった。
ほどなく、
のちにアメリカ村としてサブカルチャーなヤングが集う街に変貌する、
心斎橋の周防町の一角にあった三階建ての商用ビルに移転されたのだった。
一階がブラックバス専門、
二階はスプーンやスピナーなど全般、
そして三階がフライ専門店。
品ぞろえはすさまじかった。
どの階にも、
子供にはとうてい手の届かない高嶺の花な釣り道具が所狭しと並んでいた。
それらを飽きもせず切なく眺めながら、
……大人になったらぜったいこうたるわい……
と、
いつもおもっていた。
あのころ、
フイッシングサロン心斎橋の店内は、
おなじような志を抱いたガキどもでいつもいっぱいだった。
こう書いていておもったが、
フイッシングサロン心斎橋の接客はけして愛想よしというわけではなかったけれど、
このような「見るだけ~」というガキどもを邪険にもせず、
ほったらかしにしてくれて、
いくらでも見せてくれた。
半日ほども狭い店内をウロウロして、
いつもの憧れの品々を眺めてから、
さんざん悩んで購入するのはダビング材ひと袋、
もしくは、
ワームのバラ売りで選びに選んで二本、
がやっと、
という子供たちをいいだけほったらかしてくれた。
子供だからといって甘やかされず、
かといって邪魔にもされず……。
おかげで、
たくさんのホンモノをありったけ見て、
そして自由にのびのびウブな感性に焼きつけることができた。
それがどれだけありがたかったことか。
と、
40数年後に気がついた。
その当時、
フライ道具らしきものをヒト揃え持ってはいたけれど、
初体験の相手は、
近所の沼や川にたくさんいたブルーギルやオイカワ。
もっぱら、
トップウォータープラグやワームで、
ブラックバスやライギョを釣りながら、
いつかは、
いつかはじぶんも、
じぶんで作ったフライでマスが釣ってみたい……、
と、
とおい憧れの渓流魚へのお慕いの灯を小さな胸にともしつづけた少年のころであった。
自他共におおいに認める、
むしろ聞かれてもいないのに自分から誰かれなく吹聴してまわりたい、
関西の都会の夢見るイチビリ釣りキチ少年なのでした。
あのころ、
フイッシングサロン心斎橋は、
まさに夢の園であり殿堂だった。
先月、
ふと思いたってフイッシングサロン心斎橋を検索してみた……、
すると、
あの当時のこんな懐かしい広告画像が掲載されていて、
すこし時間が逆転した。

フイッシングサロン心斎橋のFBより転載。
この広告写真は胸がキュンとイタいねん。
学校指定のものだろうか、
上下お揃いの体育ジャージに野球帽をかぶった少年がたまらなくイトしいねん。
ポケットのなかには、
この日のために節約に節約を重ねて捻出したおこずかいを忍ばせている。
そして、
購入するルアーを入れる買い物カゴがわりのザルを握りしめて、
壁一面にディスプレイされたルアーに圧倒されながら、
限られた予算できょうはどれを購入するか……、
まさに一世一代の真剣勝負の表情でルアーを見つめている少年。
…この子は、
あのころの自分とちゃうか?…
というよりも、
我が同年代の当時の関西の釣りキチの子たち、
いまこの写真を見たら、
「この子、あのころの自分とちゃうん?」胸がチクリといたいオッサン、
いっぱいおるやろなとおもったらチョイ泣けてきた。


フイッシングサロン心斎橋のFBより転載。
両方とも、
もちろんもっとった。
…この会員証はバスを愛するもののみに渡されます…
あのころ、
メンバー入会手続きをして、
この会員証をうけとって、
~のみに渡されます…という文面を読んだときの特別感…どこかウレシ気恥かしい気になったの…かすかな記憶にある。
そして、
会員証に記載されたもうひとつのお約束ごと。
…何ごとにも正直で、良い人であって下さい…
このお店は、
あのころの釣りキチ少年たちにとって、
いろんな意味で学びの場でもあった。
フェイスブックによると、
この会員証のデザインもイラストも文章もすべて、
フイッシングサロン心斎橋の社長さん自らが考案してデザインされたものなのだそう。
そんなことも、
40数年後にはじめて知った。
ほかにも、
もはや脳裏からは消えていた、
淡く懐かしく、
そして遠い記憶を呼び覚ます、
当時の店内写真がフェイスブックのページにいくつか掲載されていた。
甘酸っぱくほろ苦い蜜に浸りながら、
それらの写真をずっと眺めて一日が暮れた。
店舗は閉店してしまったし、
フライ用品は現在は取り扱っていないけれど、
バスルアーに関しては、
オリジナル商品も盛りだくさん。
オンライン通販にて活発に御商売されておられるご様子。
すばらしいなとおもった。
そんな通販サイトも興味深く見て回っていたところ、
このページをスクロールして……フイッシングサロン心斎橋オンラインショップothers……ここでしばしタイムカプセルを開けた心境。
いてもたってもいられないような、
なんともいえない気持ちになった。
ふたつの商品が、
長い長い時と時間を超えて、
じぶんを待っていてくれた。
と、
そんなふうに勘違いしたいものが並んでいた。
購入ボタンを押した。

サンポーの特大ライトタフボックス。
このお店で、
さいしょにこのボックスを購入したときのことは、
いまでも鮮明に憶えている。
実家のある関西の中学を卒業して、
新潟にあった寮制の高校に進学する直前に購入した。
そのときが、
じぶんにとってこのお店で買い物をする最後になったからだ。
ついにこのオレ様もイワナやヤマメがいる渓流が身近にある新潟で暮らすことになるんだぞと、
どんなもんじゃと……、
フライも巻きまくって、
このボックスを自作のフライでいっぱいにしてやるぞと、
意気揚々と買い求めたのだった。
いまもなお現役バリバリ。
というよりも、
なにかとかさばる巨大ドライフライを収納するボックスとして、
オホーツク地方在住の現在こそ、
この特大ボックスが活用されている。

80年代初頭のあの時代、
こんな茶色のクイルボディ・パラシュートと、
ハックルを巻けるだけ巻いたウルフがドライフライの花形でもあり、
流行の最先端だった。
そんなのをせっせせっせと巻いて、
このボックスが埋まっていくのをウキウキ眺めた。
40数年経って、
二個目のこのボックスをおなじ店で購入した。
そしてもうひとつ、

オンライン・サイトによると、
なんでも約40年前にアメリカのバスプロショップから仕入れたネクタイとの由。
まったく記憶から消えうせてはいたけれど、
サイトの商品画像を見たとたん、
ウワーッと狂おしいほどに甦ったあのころの思い出。
このネクタイ、
あの当時いつも店内で見ていた微かな憶えがある。
眩しいような、
憧れなような、
未知の未来を象徴するような……不思議な気持ちで。
……こんなにもオシャレなネクタイをつけるオトナって、どんなオトナなんやろ?……、
……じぶんは、どんなオトナになるんやろ?……、
こんなオトナになっちゃってほんとにまったくもう。
そして、
……こんなネクタイを購入するオトナは、いったいぜんたいどのような人物なんだろう?……、
あのころ、
それが興味津々だった。
まさか、
40数年も経って、
じぶんがこのネクタイを購入するなんて。
くしくも、
少年のころの素朴な疑問と興味のひとつがいま、
解明された。
手元に商品が届いて、
ネクタイのはいったビニールを開けて、
おもわず鼻を近づけてみた。
あのころの、
牧歌の時代の匂いがした、
ような気がした。
時代は巡る。
因果も巡る。
これからもまだまだ巡る。
どんどん巡る。
フイッシングサロン心斎橋が長い歴史にひと区切りをつけられ、
数年前に店舗を閉店されたことは、
すこしまえに大阪在住の事情通な方々から聞いていて、
じみじみ、
つくづく感慨深かった。
父親に連れられて、
このお店にはじめてはいったのは、
自分がまだ小学六年生のころ。
じつに40数年まえのこと。
そのころはまだお店は心斎橋の「そごう」だっけ?
「大丸」だっけ?
百貨店のなかに店舗があった。
ほどなく、
のちにアメリカ村としてサブカルチャーなヤングが集う街に変貌する、
心斎橋の周防町の一角にあった三階建ての商用ビルに移転されたのだった。
一階がブラックバス専門、
二階はスプーンやスピナーなど全般、
そして三階がフライ専門店。
品ぞろえはすさまじかった。
どの階にも、
子供にはとうてい手の届かない高嶺の花な釣り道具が所狭しと並んでいた。
それらを飽きもせず切なく眺めながら、
……大人になったらぜったいこうたるわい……
と、
いつもおもっていた。
あのころ、
フイッシングサロン心斎橋の店内は、
おなじような志を抱いたガキどもでいつもいっぱいだった。
こう書いていておもったが、
フイッシングサロン心斎橋の接客はけして愛想よしというわけではなかったけれど、
このような「見るだけ~」というガキどもを邪険にもせず、
ほったらかしにしてくれて、
いくらでも見せてくれた。
半日ほども狭い店内をウロウロして、
いつもの憧れの品々を眺めてから、
さんざん悩んで購入するのはダビング材ひと袋、
もしくは、
ワームのバラ売りで選びに選んで二本、
がやっと、
という子供たちをいいだけほったらかしてくれた。
子供だからといって甘やかされず、
かといって邪魔にもされず……。
おかげで、
たくさんのホンモノをありったけ見て、
そして自由にのびのびウブな感性に焼きつけることができた。
それがどれだけありがたかったことか。
と、
40数年後に気がついた。
その当時、
フライ道具らしきものをヒト揃え持ってはいたけれど、
初体験の相手は、
近所の沼や川にたくさんいたブルーギルやオイカワ。
もっぱら、
トップウォータープラグやワームで、
ブラックバスやライギョを釣りながら、
いつかは、
いつかはじぶんも、
じぶんで作ったフライでマスが釣ってみたい……、
と、
とおい憧れの渓流魚へのお慕いの灯を小さな胸にともしつづけた少年のころであった。
自他共におおいに認める、
むしろ聞かれてもいないのに自分から誰かれなく吹聴してまわりたい、
関西の都会の夢見るイチビリ釣りキチ少年なのでした。
あのころ、
フイッシングサロン心斎橋は、
まさに夢の園であり殿堂だった。
先月、
ふと思いたってフイッシングサロン心斎橋を検索してみた……、
すると、
あの当時のこんな懐かしい広告画像が掲載されていて、
すこし時間が逆転した。

フイッシングサロン心斎橋のFBより転載。
この広告写真は胸がキュンとイタいねん。
学校指定のものだろうか、
上下お揃いの体育ジャージに野球帽をかぶった少年がたまらなくイトしいねん。
ポケットのなかには、
この日のために節約に節約を重ねて捻出したおこずかいを忍ばせている。
そして、
購入するルアーを入れる買い物カゴがわりのザルを握りしめて、
壁一面にディスプレイされたルアーに圧倒されながら、
限られた予算できょうはどれを購入するか……、
まさに一世一代の真剣勝負の表情でルアーを見つめている少年。
…この子は、
あのころの自分とちゃうか?…
というよりも、
我が同年代の当時の関西の釣りキチの子たち、
いまこの写真を見たら、
「この子、あのころの自分とちゃうん?」胸がチクリといたいオッサン、
いっぱいおるやろなとおもったらチョイ泣けてきた。


フイッシングサロン心斎橋のFBより転載。
両方とも、
もちろんもっとった。
…この会員証はバスを愛するもののみに渡されます…
あのころ、
メンバー入会手続きをして、
この会員証をうけとって、
~のみに渡されます…という文面を読んだときの特別感…どこかウレシ気恥かしい気になったの…かすかな記憶にある。
そして、
会員証に記載されたもうひとつのお約束ごと。
…何ごとにも正直で、良い人であって下さい…
このお店は、
あのころの釣りキチ少年たちにとって、
いろんな意味で学びの場でもあった。
フェイスブックによると、
この会員証のデザインもイラストも文章もすべて、
フイッシングサロン心斎橋の社長さん自らが考案してデザインされたものなのだそう。
そんなことも、
40数年後にはじめて知った。
ほかにも、
もはや脳裏からは消えていた、
淡く懐かしく、
そして遠い記憶を呼び覚ます、
当時の店内写真がフェイスブックのページにいくつか掲載されていた。
甘酸っぱくほろ苦い蜜に浸りながら、
それらの写真をずっと眺めて一日が暮れた。
店舗は閉店してしまったし、
フライ用品は現在は取り扱っていないけれど、
バスルアーに関しては、
オリジナル商品も盛りだくさん。
オンライン通販にて活発に御商売されておられるご様子。
すばらしいなとおもった。
そんな通販サイトも興味深く見て回っていたところ、
このページをスクロールして……フイッシングサロン心斎橋オンラインショップothers……ここでしばしタイムカプセルを開けた心境。
いてもたってもいられないような、
なんともいえない気持ちになった。
ふたつの商品が、
長い長い時と時間を超えて、
じぶんを待っていてくれた。
と、
そんなふうに勘違いしたいものが並んでいた。
購入ボタンを押した。

サンポーの特大ライトタフボックス。
このお店で、
さいしょにこのボックスを購入したときのことは、
いまでも鮮明に憶えている。
実家のある関西の中学を卒業して、
新潟にあった寮制の高校に進学する直前に購入した。
そのときが、
じぶんにとってこのお店で買い物をする最後になったからだ。
ついにこのオレ様もイワナやヤマメがいる渓流が身近にある新潟で暮らすことになるんだぞと、
どんなもんじゃと……、
フライも巻きまくって、
このボックスを自作のフライでいっぱいにしてやるぞと、
意気揚々と買い求めたのだった。
いまもなお現役バリバリ。
というよりも、
なにかとかさばる巨大ドライフライを収納するボックスとして、
オホーツク地方在住の現在こそ、
この特大ボックスが活用されている。

80年代初頭のあの時代、
こんな茶色のクイルボディ・パラシュートと、
ハックルを巻けるだけ巻いたウルフがドライフライの花形でもあり、
流行の最先端だった。
そんなのをせっせせっせと巻いて、
このボックスが埋まっていくのをウキウキ眺めた。
40数年経って、
二個目のこのボックスをおなじ店で購入した。
そしてもうひとつ、

オンライン・サイトによると、
なんでも約40年前にアメリカのバスプロショップから仕入れたネクタイとの由。
まったく記憶から消えうせてはいたけれど、
サイトの商品画像を見たとたん、
ウワーッと狂おしいほどに甦ったあのころの思い出。
このネクタイ、
あの当時いつも店内で見ていた微かな憶えがある。
眩しいような、
憧れなような、
未知の未来を象徴するような……不思議な気持ちで。
……こんなにもオシャレなネクタイをつけるオトナって、どんなオトナなんやろ?……、
……じぶんは、どんなオトナになるんやろ?……、
こんなオトナになっちゃってほんとにまったくもう。
そして、
……こんなネクタイを購入するオトナは、いったいぜんたいどのような人物なんだろう?……、
あのころ、
それが興味津々だった。
まさか、
40数年も経って、
じぶんがこのネクタイを購入するなんて。
くしくも、
少年のころの素朴な疑問と興味のひとつがいま、
解明された。
手元に商品が届いて、
ネクタイのはいったビニールを開けて、
おもわず鼻を近づけてみた。
あのころの、
牧歌の時代の匂いがした、
ような気がした。
時代は巡る。
因果も巡る。
これからもまだまだ巡る。
どんどん巡る。
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