BIZENアングラ・アングラーズ
フライフイッシングとフライタイイングに関する話題など
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
「フライの雑誌」の編集長
130317(1)1.jpg

 本邦初公開、
 ワイの書いたナマ原稿なのじゃ。

 1992年ころ、
 東京の渋谷から毎週のようにでかけていた、
 琵琶湖のバスバギングについて、
 思うままに書きなぐったものだ。

 当時、
 本誌の人気コーナー「隣人のフライボックス」のために貸し出した、
 ぼくのフライボックスの大半を占めていたバスバグを見て、
 前編集長の中沢さんが、
 なんでもいいから自由にバス釣りのことを書いてみてよ、
 とおっしゃってくださったのだった。

 そのころ働いていたレコード店を切り盛りしながら、
 常に締め切りに追われていた複数の音楽雑誌の連載記事や、
 CDのライナーノーツなんかと並行して、
 時間を見つけてはコツコツ書いた。
 
 トラフグのように肥大化したバスの下あごを、
 ムンズとつかんで持ちあげている写真や、
 見わたすかぎりの湖面を埋めているウィード地帯の写真なども添えて、
 仙川にあった「フライの雑誌」編集部にもってった。

 中沢さんは、
 この原稿や写真を見て、
 「すっごいいい!こ~れはショッキングな記事になるよ!」
 と、
 いつものあの口調で言ってくれた。

 うれしかった。

 だが、
 この原稿はボツになった。
 この原稿を中沢さんに託したその直後、
 一気に高まったバスに対する世論を、
 おもいきり逆撫でするような内容だったからだ。

 その代わりというわけではないが、
 この記事が載るはずだった号には、
  魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか
 この本の第2章第2節の記事が掲載された。

 世をあげてブラックバスを害魚罪魚として血祭りにあげる方向にひた走った、
 その受難の時代の幕開けだった。
 
 あれから21年も経ってしまった。

 この原稿は、
 長らくどこにいったのかわからずじまいだった。
 中沢さんが亡くなられてから、
 返してもらいたいと思って人に頼んだこともあったのだが、
 どこにも見当たらないと言われてガックリきた。
 捨てられちゃったんだ……とおもっていた。

 のだが、
 6年ほどまえ、
 「フライの雑誌」現編集長の堀内さんが事務所を移転されたときに、
 …こんなのが出てきたので返却いたします…
 と、
 写真とともに返送してくださったのだった。

 中沢さん、
 ちゃんと保管してくれてたんだね。

 そのときぼくは、
 堀内さんに簡単なお礼のメールだけを送信して、
 この原稿を見かえすこともなく、
 「フライの雑誌」関連のフライや原稿などを入れてある箱にそのまま仕舞って封印した。

 見れね~よコンナノ…ナケテクンジャンカヨ!
 今さら送ってくんじゃネ~ヨ!

 と思っていた。

 ぼくは、
 「フライの雑誌」62号を境に、
 この雑誌をほぼまったくといっていいほど読んでいない。

 いや、
 読みたくないし、
 読めなくなった。

 底なしに落ち込むからだ。
 まず自分を責め、
 そして人を責め、
 どうにも重くなるからだ。

 そのくせ、
 たまに釣り道具屋に行けば、
 そこに並ぶ雑誌を見て、
 この雑誌の新刊がでていると、
 心のどこかでホッとしている……、

 なんなのだオレは?

130317(3)3.jpg

 キッカケは「フライの雑誌」第98号だった。

 昨年暮れのタイイング・デモのとき、

 「あのねえ、今年からマシュマロ・フライつかいはじめた子たち、
 もうみ~~~んなこのフライしか使わなくなってんのね、
 だからその子たちは来シーズンからこのフライは使用禁止ですYO!」

 ウハハハハ~~

 参加してくださった皆さんとゲラゲラ笑いながら、
 このフライを巻こうとしたとき、

 ある若者くんが、
 「いま出たばっかのフライの雑誌にマシュマロ・フライのことが載っていて、
 ビゼンさんのお名前も出てましたよ」

 マジかよ、
 うっわ~~~ヤッベ~~~~、
 こちとら不義理と粗相しか見当たらない。

 怖いもの見たさで、
 すぐにでも読みたかったけれど、
 なぜだかその釣り具屋には新刊は入荷していなかった。

 なんでや?

 そんなわけで、
 出不精の自分がその号をようやく読めたのは、
 つい一か月ほどまえのことだった。

 件の記事も舐めるように読み入って、
 ほんとにありがたいと思った。

 そして、
 この98号に詰め込まれていた記事のなかで、
 ぼくにとってもっとも強く印象にのこったのは、
 カブラー(愛称にさん付けはヘンなので敬称略)の記事だった。

 くやしいけど、
 おもしろかった。

 彼のカブにまたがっての釣り旅の道中は、
 現在北海道に住む自分にとって手に取るようにわかるだけに、
 臨場感もひとしおだったが、

 それ以上に、
 カブラーが、
 あのころから、
 まったくほとんどライフスタイルが変わっていないらしいことが、
 同年代のぼくにとっては衝撃でもあり、
 驚きでもあり、
 また……、

 くやしいけど、
 アンタすげ~よ。

 これはもういやでも、
 認めざるを得ない。

 四方八方手を尽くして、
 バックナンバーも読んだ。

 そして、
 まさか自分がカブラーごときを検索しちゃうなんて、
 思いもしなかったじゃんかよ。

 で!
 こんな記事も見つけちゃったのだったのだった。
 編集者が勝手に解説『フライの雑誌』第94号の読み方〈後半〉
 この記事のカブラーのところ、
 読んでみてよ、
 ひっで~ヤツもいたもんだ。

 いわく、
 カブラーが勇気をふるって憧れの人にあいさつしたところ、
 そいつは、
 けんもほろろに無視をかまし、
 しかもあろうことか、
 「こんなヤツが原稿書いてる雑誌に、オレ様の珠玉の原稿を書いてほしいとは、このたわけ者がっ」
 などと、
 天空の上から目線で言語道断に切り捨てたヤツ……すげ~だろ?
 いったいぜんたい何様のつもりじゃコイツは、
 ってかんじでしょ。

 で、
 この何様野郎とは、
 なにをかくそう、
 オレ様のことじゃ~~切腹……は、
 しませんけど、

 このときのこと、
 ぼくもよく憶えてますよ。

 何年前だったっけか?

 「フライの雑誌」に連載していたフライ・タイイング図説に、
 シリコン素材で巻くフローティング・ストリーマーのことを書いた直後くらいで、
 カブラーがこの雑誌に記事を書きはじめたころ、
 ぼくがまだ飛騨高山に住んでいたころ。

 かるく15年くらい前のことだ。

 「つるや釣具店」さんのハンドクラフト展に、
 タイイングデモで呼んでいただいて、
 デモの合間に喫煙所で休憩していたら、
 堀内さんとカブラーがツカツカツカッと目の前にやって来て、
 「このまえの雑誌に出ていたシリコン材って、どこで売ってるんですか?」
 って聞かれたんだよね。

 イヤだったなあ……、
 早よどっか行けよコノヤロウ、
 っておもった。

 その理由もちゃんとあったからだ。

 カブラーの記事がだいきらいだったから。

 いまはもうとおく淡い記憶でしかないけれど、
 この当時のカブラーの記事「私は英語の読み方にうるさい」だっけ?

 ニワトリの腰の羽根の名称、
 シェラペンだっけ?
 それともシェラッペン?
 はたまたシュラペン?

 意味が通じればど~でもいいじゃねえかそんなの……、

 と思うようなぼくの書き間違いを、
 記事中で、
 まるで鬼の首でもとったかのように声高に、
 勝ち誇ったかのように書いてる「みみっちさ」

 当時はたいへんに不快でございました。

 と、
 そのように思ってる張本人が、
 いきなり目の前にツカツカやってきて、
 ろくな自己紹介もなく質問してきたときに、

 愛想良く振舞うほどの器量は、
 ぼくには今もないけど当時はもっとない。

 それと、
 カブラーが当時のオレのことを敬愛してたってか?
 そんなの、
 このブログ記事を見るまで全然知らなかったぜ。
 むしろ件の記事から「バカにされてる」とず~~~~っと思ってた。
 そんなの、
 言われなきゃわかんね~よ。
 なので、
 この書き方はズルイんだよ印象操作?だよ堀内さん。

 ハッキリ言って、
 自分でこんなこと言うのはナニだけど、
 このさい言っておくと、
 ぼくは公の場ではものすごく愛想が良い。
 無駄に愛想が良すぎて、
 独りになったときに疲れ果ててヘロヘロになっている。

 なぜなら、
 ぼくはサービス業だからだ。

 だから、
 人様に対してボクがこういう態度をとるときには、
 かならず120%それ相応の理由があるわけだ。

 そしてこうも言おう、
 もし自分が逆にカブラーの立場だったとして、
 人様から冷たい仕打ちを受けたとしたら、
 自分の性分として、
 まずは自分がその人に対してなにか粗相や失礼をしてしまったのだ……とかんがえる。
 だからこそこの人はボクに対してこのような冷酷な態度で接するのだ、
 と思って、
 死ぬほど悩む。

 そりゃもうい~~っぱい悩んできましたよ~~~これまで……。
 そしてこれからもた~~くさん悩むんじゃないでしょうか……だって人生はまだ続いちゃうんだもの。

 ぼくはヘタレの子。

 なので、
 こういうことを、
 公の場で、
 このように書くことができるって、
 よほど自分に自信があるんだな~スッゲ~や、
 とおもった。

 とはいえ、
 ここでこのように書かれたことに憤慨しているのではまったくない。

 むしろその逆。
 うれしがってんだよね。
 だからこそ、
 ここでこんな野暮なことを、
 どこか愉しみながら書きなぐっているわけだ。

 これも自分の性分として、
 ぼくの周囲の誰もが知るように、
 もし本気でブチ切れたら、
 こんなまだるっこしいことしないで、
 直接本人に言うからガッツーンと。

 ヘタレなわりに、
 闘鶏気質なややこしいワタシ。

 では何故うれしがっているかというと、
 この記事が書かれた日付はと見れば、
 つい一昨年のことじゃござんせんか、

 こんなに昔のことを、
 今ごろになっても、
 こんなふうに書きたくなるほどに、
 堀内さんったら、
 根に持っていてくださったのだなあと……、

 これも自分の性分に照らしてみれば、
 「根に持つ」ということは、
 いやでも「意識している」ということだからだ。

 だけど、
 ひとつ気に喰わないことがあんだよ堀内さん、
 この記事のなかでオレのことを単に「常連寄稿者」とだけ書いてたけど、
 アナタにとって当時のボクの「フライの雑誌」での存在は、
 その程度のものだったのか?

 オレはなあ、
 あのころ、
 「フライの雑誌」はオレの「全て」だったんだよ!
 いくらオレのことがキライでも、
 それはアンタも認めざるをえないはずだ。

 「去る者は追わず」って……笑わしてくれるやんけ。

 アナタにもいろんな気持ちがあったように、
 去った者にも、
 いろんな気持ちがあるんだぜ。
 

130317(2)2.jpg

 ずいぶん長くなったけど、
 もうちょっと書きたい。

 いや、
 これこそが書きたくて、
 本来はフライの話題で無邪気に愉しかるべきこの場で、
 こんな野暮丸出しをしている……。

 「フライの雑誌」現編集長のブログ「あさ川日記」を、
 このようなカタチで知ることとなり、
 くやしいけれど、
 くやしいけれど、
 くやしいけれど、
 ほとんどぜんぶ読んだ。

 以降、
 ブックマーク?をして、
 ことあるごとに読んでいる。

 流し読みをしたところもあるけど、
 それ以上に何回も読み入った記事がたくさんあった。

 読み応えあった。

 なぜなら、
 赤裸々で、
 剥き出しで、
 飾ってない、
 素のままの、
 魂の伝わる文章がぎっしりだったから。

 堀内さんがどのような心情でこの雑誌を創り(作るじゃなくて創る)、
 どれだけ自分の雑誌に情をそそいでいるか……、
 姿勢を正して読んじゃったじゃね~か。

 口だけじゃなく、
 身体つかって、
 独りでもがいて闘っているアンタちょっとカッコイイ。

 孤軍奮闘だ。
 それってスゲーことなんだぜ。

 そのうえで言いたい。

 堀内さんがどのように思おうと、
 堀内さんは「フライの雑誌」の編集長。
 押しも押されぬ、
 堂々たる編集長。

 あのさ、
 ぼくもまた、
 「フライフイッシングのライター」だとか、
 「プロタイヤー」だとか、
 そういう肩書、
 めちゃくちゃ抵抗があってさあ、
 今だって「オラこっぱずかしいだ」ってところ多々ある。
 そんな大したもんじゃありませんので、
 って思ってる。

 だけど、
 中沢さんはそのことに対して、
 本気で「そんなんじゃダメだ!」
 って言い続けてくれた、
 たったひとりの人だった。

 「そんなの、独りよがりもいいとこだよ。
 いいかげん自覚しないとダメだ!
 でないと、ビゼンくんを認めてくれる周りの人に失礼だ!
 もういい加減わかってくれよ!」

 これが、
 ぼくにとって、
 中沢さんが言ってくれた、
 ほんとに最後の最後の言葉だったんだ。

 あのとき、
 中沢さんはあの状態だったのに、
 それを言うためだけにわざわざ電話してくれて、
 叱ってもらったんだボク。

 どんなにかシアワセ者ですよボク。

 堀内さんのブログを読んでいて、
 そのときのこと何度も思い出しちゃいましたYO

 まあ、
 書き尽くせないんだけど、
 そんな感じです。

 とりあえず、
 来週はヤボ用で都会にいくので、
 「フライの雑誌」最新号を買って読むのが楽しみです。
  フライの雑誌-最新第99号
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.