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BIZENアングラ・アングラーズ
フライフイッシングとフライタイイングに関する話題など
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「鱒毛鉤の思想史」ひろい読み
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 かつて、
 「ブロウライン」と呼ばれる釣り方があったの知ってる?

 その原型は、
 かのチャールズ・コットン「釣魚大全」でも取り上げられた、
 いにしえの時代の英国の伝統釣法。

 6メートルもある竹製の長竿に道糸となる絹糸とガットリーダーをつけて、
 その先端に釣り針だけを結んで、
 そこにモンカゲロウの成虫を餌として刺し、
 その軽い仕掛けを追い風にのせて遠方に飛ばし、
 マスがライズしている地点にまで送りこんで、
 風をはらませた絹糸やガットリーダーは常に空中に保持したまま、
 餌のモンカゲロウだけを水面につけてマスに喰わせる。
 という釣り方だったらしい。

 なんでも、
 名人クラスの釣り人は、
 そんな仕掛けで20メートル30メートル先のライズを狙っていたそうな。

 ブロウラインすげえな。
 あるいみ究極のマス釣りだよな。
 
 ちなみに現在でも、
 スコットランドやアイルランドでは、
 ボートからこの伝統的な釣りを愉しんでいるマニアが多数いるらしい。

 ことほどさように、
 英国のマス釣りにおいては、
 いにしえの時代よりモンカゲロウの存在はとても重要だった。

 なにしろ、
 現在ではメイフライという呼称は、
 うたがいもなくカゲロウ全般を指す名前なんだけど、
 もともとメイフライ(May fly)というのはモンカゲロウの愛称だったのだ。

 で、
 ここで素朴な疑問。

 モンカゲロウがマスにガバガバ喰われることになる羽化期のピークは英国でも日本でも、
 6月半ばくらいの季節なのに、
 なにゆえメイフライ(5月の虫)なのか?

 そのワケは……、

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 そんなこんなの、
 些細ではあるけれど、
 常々不思議に思っていた疑問のいくつかを、
 この本によって知ることになった。

 そのたびに、
 ガッテンガッテンガッテン!と、
 ガッテンボタンを連打した。
 
 が、
 ネタバレは野暮なので、
 あえてここでは明かしませんけれど、
 この本、
 たんなるフライの歴史や用語の本だと思ったら大間違いなんやで。
 そんな上っ面だけの浅いもんやないんやで。

 フライフイッシングの長い歴史のなかで、
 のちのち、
 創始者とか、
 革命家とか、
 革新者とか、
 独裁者とか、
 表現者とか、
 たいそうな冠詞をつけられることになった、
 往年の大家たちの新しい思想に基づいて生まれたフライたちの背景と、
 さらに、
 そうやって提示されたアプローチとは意見や嗜好を異にする釣り人たちが、
 各地各国でケンケンガクガクやり合いながらフライフイッシング文化を熟成させてきた、
 その足跡と記録を史実に基づいて淡々と掘り下げ、
 かつ詳細にふり返りながらも、
 各章の行間をこそうかがい読めば、
 そのじつ現在のフライフイッシングにあるいみ辛辣にモノ申しているという、
 ヒジョーにヘビーでデンジャラスでホットな釣りの本……ですか?

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 ドライフライの歴史の檜舞台となった南イングランドのチョークストリーム群にて、
 そんなドライフライ釣りの革命家として頭角を現し、
 晩年は良くも悪くも独裁者と謳われたF.M.ハルフォード。

 そのスタート地点は、
 生粋の生まれながらの釣りバカが、
 「オレはこのようなフライでこうやってマスを釣るのがいちばんエキサイティングでチャレンジャブルでおもろいのや」
 という自分の釣りの嗜好とその愉しみを雄弁に語っていたはず。
 が、
 いつのまにかその偏った嗜好と思想が独り歩きをはじめ、
 周囲から革新者として祭り上げられ、
 教祖として崇めたてられ、
 賛同者からチヤホヤされちゃうもんだから自分もついその気になっちゃって……、

 後年、
 ハルフォードはそうした教祖としての姿ばかりが語られることになった。
 すくなくとも自分は、
 過去に読んだ本などから、
 独裁者としての傲慢が強調あるいは誇張されたハルフォード像しか知らなかった。
 
 だが、
 はたしてそれは、
 ハルフォードが本当に歩みたかったフライフイッシング道なのか?
 それが目指していた高みだったのか?

 ハルフォードが真に愛したマス釣り。
 「コカゲロウやマダラカゲロウなどのちいさなカゲロウにライズしているスレたマスを、ドライフライで水面でこそ狙う釣り」
 さらに、
 そんな釣りの愉しみをもっと深く、
 そして喜びをより高めるためにも、
 その釣り方にいくつかの確固たるルールを自分に課したうえで、
 わざと難易度を高くして、
 しかも、
 それらの流下昆虫をじぶんが納得いくまで徹底的に模倣したドライフライを駆使してまんまと喰わせる……、

 という、
 あまりにも秘めやかで心の内面を向いたマス釣り。

 他者との交流や競争よりも、
 自己の内面と向き合い語り合うことが大切なキモとなる、
 いわば自己完結で孤独な瞑想の釣り。

 そんな釣りにこそ人生を捧げたハルフォードが、
 はたして本当に「お山の大将」に君臨したかったのだろうか?

 好む好まざるにかかわらず、
 他者との交わりの中で生きていくしかないのが人の常。

 望んでなのか?
 それとも望んではいなかったのか?
 我知らず周囲に祭りあげられ教祖として君臨することになった純粋主義者の釣り人生は、
 はたして幸運で幸せな釣り人生だったのか?
 それとも……?

 ともあれ、
 さまざまな矛盾をはらみながら、
 その弱さを教祖として言葉の楯で死ぬまで守り抜いた姿勢にこそ、
 生粋の釣りバカのヒトとしての襟持ちが見え隠れしていたハルフォード。 

 個人的に古典に一方ならぬ興味を抱きながらも、
 じぶんにとってこれまでもっとも理解しがたく、
 もっとも遠い存在でしかなかったハルフォード。

 この本「鱒毛鉤の思想史」のなかには、
 我が憧れのヒーローでもあり先生が多数登場している。
 「影響を受けた勉強させてもらった」と公言してはばからない、
 敬愛して止まないお歴々の大家たち。

 にもかかわらず、
 この本の登場人物のなかで、
 じぶんがもっともシンパシーを感じて、
 はばかりながらもっとも近しい存在として親近感を感じ、
 生身の人間として苦悩する心の内をのぞかせてもらったような気さえしたのが、
 このドライフライの独裁者ハルフォードだった、
 というのは一体全体どういうことなのか?

 な、
 深いだろう?

 でも浅いんだよ。

 この本を読みふけっているたったいまの自分の釣り環境。
 自宅のすぐそこに、
 テキトーなでっかいフライをボーンと浮かべとけば、
 運が良ければ良いマスがガバッと跳びついてくる釣り場がいくらでもある。
 もちろん、
 そのような運まかせ条件まかせ要素の強い釣り場も、
 たしかに魅力的だ。

 けれど、
 
 それよりもなによりも、
 完全フラットなベッタベタの水面で、
 ちいさなヒメヒラタカゲロウのイマージャーだけを気まぐれに吸いこんでいるマスたちに、
 ひたすら翻弄されるピンスポットな場所で、
 ようやく釣れてくれたイッピキのマスがもたらしてくれる、
 あの得難い征服感と達成感に心底酔いしれている……、

 という、
 じぶんのたったいま浸っている釣り、
 いわば「じぶんにとっての旬の釣り」に偉大なハルフォード御大のドライフライ人生を重ねて、
 無邪気に嬉しがっているだけのこと。

 オレ様の思想はいつも軽いのだフェザーウエイト。
  
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 話しを軌道修正。

 なんでも、
 ハルフォードと「ドライフライこそ至高」なその取り巻き連中は、
 「馬鹿でも釣れる二週間」といわれたモンカゲロウの羽化期の釣りを、
 じつは苦々しくおもっていたそうだ。

 羽化したばかりのモンカゲロウのダンにバサッと食らいつく大物。
 これぞドライフライの釣りの真骨頂、
 と言えるはずなのに、
 それは何故なのか?

 いわく、
 この時期はふだんはめったに釣れない大物が、
 モンカゲロウの大量羽化に我を忘れてライズするほとんど唯一の季節。
 なので、
 ふだんはドライフライの釣りなど見向きもしない連中さえもが、
 我も我もと釣り場にドッと押し寄せて大混雑。
 しかも、
 その連中は「釣れさえすればなんでもいい」とうそぶいて、
 眉をしかめるような釣り方で大物狙い。

 そのため、
 本来ならば、
 コカゲロウなどの小さなカゲロウを模したドライフライで、
 繊細かつテクニカルに釣るべき獲物が傷つきスレてしまって、
 釣り場環境が台無しになってしまうではないか許せんぞ!

 という理由で、
 モンカゲロウの釣りを嫌味満載で忌み嫌う向きもあったそうだ。

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 と、
 そのようなドライフライ純粋主義者たちの意見の中心におられたひとりが教祖ハルフォードだった。

 にもかかわらず、
 ハルフォードの模したモンカゲロウ・フライを見てみれば、
 えらい念入りに仔細凝ってますやん気合入ってますやんカッコエエですやん。

 それって、
 どゆこと?

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 そして、
 この本の著者である錦織さんは、
 シェイクスピアの一節を引用して、
 モンカゲロウのスピナー・フォールのイブニングの釣りを引き合いに、
 じつはこの釣りが一筋縄ではいかないところと、
 スピナーが乱舞する暮れゆく川面に、
 ひたすらフライを投じる釣り人の心境を「狂気」として描写されたのであった。

 そ~し~て、
 その文章にいたく釣りごころをくすぐられた自分は、
 おもわず「フレンチ・パートリッジ」2Xロング10番を巻いて、
 そのページの脇にそっと添えるのであった。

 フレンチ・パートリッジ、
 「夕暮れの水面に舞い落ちるモンカゲロウのスピナー」の翅脈と紋様を、
 淡いブルーダンと黒と茶色のコントラストが印象的な、
 本名「レッドレッグド・パートリッジ」愛称「フレンチ・パートリッジ」のウズラ羽根をつかって、
 まことに美しく控えめに表現したモンカゲ・スピナーの傑作古典フライ。
 ただし「巻き人知らず」

 ちなみに、
 カゲロウの成虫をなんで「スピナー」って呼ぶか知ってる?

 この本でそのワケを知ると、
 きっと貴方もガッテンボタン連打しちゃうでしょうね……。

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 さ~らに!
 モンカゲロウの羽化やスピナーフォールにまつわる、
 四方山話しの古典はまだ続きがある。

 このようにチョ~イージーに大物が釣れちゃう、
 というイメージがあった英国モンカゲロウの釣りだが、
 時代の変遷や環境の変化とともに、
 年々羽化量も減り、
 それと並行するように釣り場のサカナもスレッスレ……、
 近年めっきり釣れなくなりました。

 と、
 1900年代初頭の時点で、
 まるで10何年か前の北海道は道東地方の湖のモンカゲ祭りを経験した方が嘆いているのと、
 まったく同じことをおっしゃっているという悶々のモンカゲ事情。

 国はちがえど時代はめぐる。

 その渦中1920年、
 H.T.シュリンガムという人物の「マス釣り 記憶とモラル」という本のなかで、
 思い通りにはけしていかない、
 ままならないことばかりの難しいモンカゲの釣りの一幕が軽妙に語られている。
 で、
 その一節がこの本のなかに引用されているんだけど、
 これがもう絶妙な臨場感、
 身につまされるような共感の想いで読んだ。
 おもろい! 

 んで、
 そんな話しのオチ?に登場するのが……、

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 このセッジ毛鉤だ。

 おっとネタバレ禁物……。

 ここではハルフォードのフライ図版を机の横に置いて、
 ハルフォードのセッジ・スタイルでシマトビケラ風に巻いてみた。

 そしてこのフォルムえらい気に入った。

 ところで、
 なんでカディスのことをかつてセッジって呼んでいたのか知ってる?

 そして、
 そもそもなんでカディスっていうか知ってる?
 
 さ、
 みなさまガッテンボタンのご準備を……。

 と、
 そんな愉しい雑学をも随所に散りばめながら、
 フライフイッシングの「温故知新」をこそ知りたい学びたい、
 さらには「フライフイッシングを通して人の生き方をも垣間見たい」とおもう、
 浪漫ちっくが溢れている貴方にぜひ……。

 人の血が通った、
 それも熱い血潮がほとばしっている稀有な釣りの本だとおもいます。


 
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